世界的人気の映画監督「世界のキタノ」としても名を馳せるビートたけし。バラエティや情報番組でも未だ第一線で活躍中だが、かつて芸能活動存続が危ぶまれたことがあった。

1度目は1986年の「フライデー襲撃事件」。2度目は1994年のあの大事故だ。

事故現場は血の川!即死でもおかしくなかった大事故


1994年8月2日午前1時40分ごろ、ビートたけしは東京都新宿区の安鎮坂付近をスクーターで運転中、カーブを曲がりきれずガードレールの鉄柱に激突してしまう。4メートルも吹っ飛ばされて頭を強打し大出血、意識不明のまま東京医大病院に救急搬送となった。

翌日の東スポ1面には現場の写真が掲載されたが、その煽り文は「事故現場は血の川」というショッキングなもの。正式な診断結果は右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で全治1ヶ月の重症。
後にたけし自身が語ったように、「普通なら即死、よくて植物状態」という大事故だった。
59日間の入院期間を経て無事退院となったが、その退院時の会見で世間はさらに驚くことになるのだった……。

衝撃だった顔面マヒ姿での毒舌記者会見


1994年9月27日の退院会見に臨んだたけしの姿に報道陣は絶句した。目の焦点は合わず、口元は大きく歪んだ重度の顔面マヒ状態だったのである。
「治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします」
「(事故は)軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってるんだ」
「頭に入っているボルトのせいで金属探知機に引っかかる」

自虐ネタ&毒舌で笑いを誘うたけし。凄まじい芸人魂である。

果たして事故の原因は?


リハビリの甲斐あって翌95年3月にはテレビ復帰を果たしたが、大事故の原因は何だったのだろうか? 事故現場は見通しのいい緩やかなカーブ。しかし、ブレーキ痕すら残っていなかったのだ。

スクーターは前日に運転手を務めるたけし軍団員、負古太郎(まけ ふるたろう)に買い与えたものだった。おまけに、サングラスのような濃いゴーグルを掛けていたことも判明している。乗り慣れないスクーターの上、視界も悪かったからだろうか?
事故前夜、日本酒4合相当のアルコールを飲んでいたとも報道されている。酒気帯び運転により書類送検されるも起訴猶予処分となっているが、酒に酔っていたからだろうか? はたまた、自爆願望があったのだろうか?

事故に会ったのは、当時交際を噂されていた細川ふみえに会いに行く途中ともされている。この一週間前に不倫密会現場が写真誌にスクープされていたのは事実である。
また、前年には監督4作目となる『ソナチネ』を発表しているが、たけしの手応えにかかわらず評価、動員が伴わないジレンマで自暴自棄になっていたともいわれている。
(「世界のキタノ」の地位を不動にしたのは、97年発表『HANA-BI』でベネチア国際映画祭グランプリである金獅子賞を受賞してから)

公私に渡るゴタゴタが暴走を招いたのだろうか?
昨今では、たけし自身が「当時はうつ状態だった」と語ることもある。いずれにしても、「世界のキタノ」ではなく「ビートたけし」として、伝説のクソゲー『たけしの挑戦状』のエンディングよろしく、「こんな事故にマジになっちゃってどうするの」なんて、シニカルに笑い飛ばしてほしいものである。
(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonよりやり残したこと