まず、何が凄いって葉月里緒奈と関係があった3人、全員が当時よりも出世しているのです。真田広之は連ドラ俳優から、『ラスト・サムライ』『たそがれ清兵衛』で国際派スターに。
若手コメディアンだった岡村は堅実に人気を維持し続け、今やちょっとした大御所扱い。極めつけはイチロー。球界期待のルーキーは、海を渡りメジャーリーグベースボールの巨星に。
今でもそれぞれの分野で燦然と輝きを放つ3人の男たちですが、それに反比例するかのごとく、彼女の存在感は年月の経過と共に霞がかっていき、ついにはぱったり名前を聞くことがなくなってしまいました。

まず、葉月里緒奈とはどんな女優だったのか、簡単に振り返っていきたいと思います。親の仕事の都合で、10歳から16歳までの期間をアメリカで過ごした彼女は、17歳のとき、『丘の上の向日葵』という連続ドラマで芸能界デビュー。
以後、数々のドラマ・映画に出演し、アイドル女優として人気を博しました。ちなみに当時のキャッチコピーは「やる気! 元気! ハヅキ!!」。清純派路線で売り出していこうという事務所の意図が感じられます。

真田広之との不倫交際 壊れた清純派のイメージ


しかし、その清廉さが虚像であることはすぐに暴かれてしまいました。1995年、初主演を飾った映画『写楽』で共演した真田広之と不倫交際していることがスッパ抜かれてしまったのです。当時まだ20歳になったばかりの清純派女優に発覚した、予想だにしないスキャンダルに世間は驚愕。当然、様々なメディアで連日のように話題となったわけですが、当の葉月は週刊誌の取材の中で実にあっけらかんとこう言い放っています。

「恋愛相手に奥さんがいても平気です」

この一言、芸能事務所が所属タレントに徹底したメディア対応指導を施している現在では考えられません。リスクヘッジ不足といえばそれまでですが、今や不倫交際の隠語みたいに使われる「お友達」なる常套句でごまかしていない分、一周回ってすがすがしく感じられます。
とはいえ、不貞の愛が社会悪なのは今も昔も同じ。既婚者の身でありながら若い女をはべらせた真田は世の中から白眼視された挙句、妻にも愛想を付かされ1997年に離婚。しかも、葉月との交際も短期間で終わりを迎えてしまいます。

葉月里緒奈とイチロー ロスのホテルで密会


人の家庭をめちゃくちゃにしようが、葉月は立ち止まりません。彼女は次の恋へと走り出します。
そのお相手は誰あろう、当時23歳のイチローでした。1996年、アメリカ・ロサンゼルスにいるイチローに会うため、葉月は渡米。彼が宿泊するホテルで一夜を共にしたというのです。
イチローはロスから帰国後、待ち構えていた報道陣を前に「一緒にいると楽しい。大切な女性? そうですね」と交際を宣言。葉月も「(イチローは)とても信頼できる人。
一緒にいる時、自然体でいられる」と想いを口にしています。
けれども、やはりこの恋も短命で終わりを迎えます。イチローの生涯収入を考えれば、あまりにも大きな“逃した魚”となるわけですが、愛こそが全てな彼女にとってそんなことは関係ないのでしょう。

葉月里緒奈が岡村隆史に突きつけた突然の2択


続いてのターゲットとなったのは、ナイナイの岡村隆史。テレビで岡村を見て一目ぼれした葉月は、様々なツテを使いこのサル顔芸人の連絡先をGET。明石家さんまから岡村への「お前のことが好きやねんて、電話せえ!」というアシストもあり、食事へ誘い出すことに成功します。

葉月は岡村と会うなり、単刀直入に「YESなのNOなの?」と問いかけたそうです。それにたじろいだ岡村は思わず「NO!」と答えてしまったのだとか。

このように、様々な芸能人と浮名を流した後、一般男性との結婚・離婚を経て、不動産会社社長と再婚。今では子宝に恵まれて、幸せな家庭を築いているという葉月里緒奈。子供の手が離れたら、女優業に復帰したいと語っているようですが、その前にこれまでの恋愛遍歴をまとめた手記の一つでも発表して欲しいものです。そうすれば、名だたるビッグネームを魅了した魔女として、再ブレイクするかもしれません。

(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりRIONA(S)―葉月里緒菜写真集