「女はね、平気で亡命できるのよ」とは、昭和の大女優・岸恵子の言葉。1957年、映画『忘れえぬ慕情』への出演で知り合ったフランス人映画監督イヴ・シャンピと結婚した彼女。

自著の中で放ったこの言葉は、男に心底惚れた際に発揮される女の強さ、たくましさを見事に表しています。

時を経た1995年。かつての大女優と同じように渡仏し、燃えるような恋を演じた女性がいます。彼女の名は、後藤久美子。「ゴクミ」の愛称で親しまれた元・女優です。

10代前半から主演起用され続けた後藤久美子


今ではほとんど表舞台に出ることのなくなったゴクミですが、その芸能生活は実に華々しいものでした。小学校5年生のころからモデルとして活動し、1986年、12歳のときに女優デビュー。
NHKのドラマ『テレビの国のアリス』にて、いきなりヒロインに抜擢されたのです。そこでの新人離れした演技が評価され、ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。

以降は「国民的美少女」の触れ込みで、ジャッキー・チェンと共演した『シティー・ハンター』、5作連続でマドンナ役を務め上げた『男はつらいよ』、大河ドラマ『独眼竜政宗』など、数々の作品で記憶に残る演技を披露しました。

“第2のゴクミを探す”という主旨で始まった『全日本国民的美少女コンテスト』


そんな彼女の所属事務所はオスカープロモーション。言わずと知れた、美人女優を多数擁する芸能プロです。
オスカー隆盛の契機となったのは、間違いなくゴクミのブレイクであり、第2の彼女を探すべく1987年より始まった『全日本国民的美少女コンテスト』です。このオーディションにより、米倉涼子、上戸彩、武井咲など、今をときめく人気女優が輩出されていることからも、彼女のオスカーへの貢献度の高さは計り知れません。


ジャン・アレジとの交際 ゴクミのしたたかな戦略だった?


オスカーとしては、そんなゴクミを看板女優に据えて、さらなる躍進を目論んでいたはず。しかし1995年、F-1レーサーのジャン・アレジとの熱愛が、週刊誌上で公となってしまったのです。
しかも、当時のアレジは妻子持ち。つまり、歴とした“不倫交際”であったため、物議を醸すこととなります。「ゴクミは遊ばれている」。そんな報道もなされました。

しかしこの不倫劇、実際のところはゴクミの熱烈なアプローチが発端だったのだとか。

先述の映画『シティー・ハンター』で共演したジャッキー・チェンがスポンサーのマカオGPの前座レースに出演すると知り、ゴクミは勉強のためにと見学に訪れます。そこで、出会ったのがジャン・アレジであり、彼女は一瞬にして恋に落ちるのです。
そこから、彼のファンクラブに入会し、そのイベントで来日する度に、何とか近づけないかとチャンスを伺っていたとのこと。アレジがその時、妻と離婚調停中という事実も、彼女の行動を加速させるのに一役買いました。

後藤久美子、突然の妊娠発表


その念願が叶い、1994年ごろから交際開始。そして、1996年にはこんな手書きのファックスがマスコミ各社に送られます。


「突然で大変驚かれることかと思いますが、私たちに待望の赤ちゃんが誕生します。出産予定は彼のシーズンオフ中、年内にヨーロッパで出産する予定です」

この時点でまだどこのマスコミも、結婚の情報すら掴んでいなかったのに、この展開。世間は度肝を抜かれました。
そしてその後、芸能界でこれまで築いてきた地位を捨てて、アレジの待つフランスへと旅立ったゴクミ。恋に一途になった女の「平気で亡命できる」行動力。その凄まじさをまざまざと見せ付けられた、恋愛劇でした。

(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりゴクミ