「ビートたけしに抱かれてこい」

なんとこれ、実の母親が娘に放ったセリフだということ。発言の主は、2年前に亡くなった、宮沢りえの母“りえママ”こと宮澤光子。
りえが11歳のときからマネージャーをつとめた彼女は、その豪腕っぷりで芸能関係者から恐れられる存在でした。
冒頭の一言は、1992年にエースコックのCMでたけしとりえが共演する際の発言。実際にりえは、たけしの泊まるホテルの部屋へ“逆夜這”をかけにいったとのことです(結局たけしからは「いいから早く帰って寝なさい」と諭されたといいます)。

愛娘に枕営業を強要するなど、普通ではありません。しかし芸能界においては、“普通”である必要などなく、むしろぶっ飛んでいる人の方が、演者にしても裏方にしても、成功を掴みやすいのもまた事実なのでしょう。
そんなりえママレベルにぶっ飛んだ人物といえば、安達祐実の母親・安達有里です。


自らが主役であり続けた安達有里


娘・安達祐実のキャリアは、生後まもなくからスタート。子育て雑誌のモデルとしてデビューし、1991年に「ハウス食品」のCMでブレイク。1994年には『家なき子』への出演で国民的人気を博し、天才子役の名を欲しいままにします。

その躍進を支えたのが、母・有里です。シングルマザーとして家事をこなしつつ、娘の撮影現場にも帯同する多忙な日々を送っていた彼女。ふつうの母親なら「子どものために」という想いが先立ち、自分のことなど二の次になってしまうでしょう。
しかし、安達ママは違います。
娘の黒子に専念する気など毛頭なく、人として、女として、自らが主役であり続ける人生を謳歌していくのです。

娘・祐実の初恋相手と再婚


象徴的な出来事の一つが、祐実がまだ幼稚園年長の時に起こります。当時の祐実は、現場で知り合ったADに淡い恋心を抱いていました。
ある日、彼女が仕事から家に戻ると、そのADがファミコンをしていたとのこと。「何で家にいるんだろ?」一瞬不思議に思いつつも、一緒に遊べる嬉しさから大して気に留めなかったのですが、数日後、母から衝撃の告白が。ADを連れてきて「今日からこの人が新しいパパよ」と宣言したというのです。

ヌード写真集の発売、AVデビューも……


こうした安達有里の“女として生涯現役”的スタンスは、祐実のマネジメント業を離れた2006年、これまで裏方に回っていた鬱憤を晴らすかのごとく、より如実に過激に表現されます。
なんと48歳にして、ヘアヌード写真集を発表したのです。
果たしてニーズがあるのかと、多くの人が首をかしげたのは言うまでもありません。そんな世間の冷ややかな視線をもろともせず、2008年には、2冊目のヌード写真集を発売。
撮影のため、609万円かけて全身美容整形手術も行ったというその体を活かし、翌年にはソフトオンデマンドからAVデビューも果たします(ちなみに、本番行為はなかったとのこと)。

なんとも常軌を逸した行動のようにも思えますが、世間からの嘲笑や批判などどこ吹く風。「これが私の生き方だから」と言わんばかりに事を成すその強烈な自意識は、見上げたものではないでしょうか。

周囲の目が気になって自分を上手く表現できない……という人も、安達有里のヘアヌード写真集を数ページ捲れば、もしかしたら勇気が沸いてくるかも知れません。
(こじへい)

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