小沢健二が2月にシングル「流動体について」を突如リリース、『ミュージックステーション』にも出演して話題を呼んだが、今月10日にはフジロックフェスティバルへの出演を正式発表。同日、公式サイトでコメントを発表しているが、その中で小沢は「あ、フリッパーズ再結成とかそういう暇は全くありませんので、よろしくお願いします」という一文を挿入して再び話題を呼んだ。


衝撃だった突然のフリッパーズ解散


「フリッパーズ」とは当然、「フリッパーズ・ギター」のこと。1989年に5人組バンドとしてデビュー。ほどなくして3人が脱退し、小山田圭吾(現コーネリアス、METAFIVE)と小沢健二の2人組となった。
後に“渋谷系”と呼ばれるムーブメントの先駆けとして大きな足跡を残したフリッパーズ・ギターだったが、91年9月19日TOKYO-FMホールで行われたラジオ用の公開録音ライブを最後に、突然解散してしまう。

3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』を7月10日にリリースしたばかりで、11月からツアーを控えていたこともあり、事務所やレコード会社は翻意を促したが、彼らの決心は変わらなかった。結局、10月29日をもって解散が決定。チケット販売が始まっていたツアーや取材などの予定はすべてキャンセルされた。

第一報が流れたのは、10月29日未明の『さくらももこのオールナイトニッポン』でのこと。29日の朝刊にはツアーの中止と解散を伝える新聞広告が掲載された。

解散の理由は渡辺満里奈の取り合いだった?


明確な理由が発表されないままの突然の解散に、ファンはパニックになった。11月19日の読売新聞には「プロ意識欠く行為」と題されたコラムが掲載される。

解散の原因としてもっとも有名な噂が、小沢と小山田が渡辺満里奈を取り合ったというものだ。渡辺は90年7月にフリッパーズの2人が作詞・作曲・編曲を手がけたシングル「大好きなシャツ(1990旅行作戦)」をリリース。
それ以来、親交を深めていたこともあり、渡辺をめぐって2人がケンカ別れをしたという噂がまことしやかに語られていた。


当人たちはこうした報道や噂を自嘲気味に楽しんでいた節があり、解散後の個別に行われたインタビューでもたびたびネタにしていた。小山田によると、2人が一番気に入っていた噂は「僕と小沢がデキててそのあいだを渡辺満里奈に裂かれた」というものだった。

小山田圭吾の恋人が語った解散理由


当時、小山田の恋人だったカヒミ・カリィは彼らの解散について、「精神的な双子みたいな感じだった。私は、そのテレパシーが急に通じなくなっちゃったんだと思う」と述べている。

小山田も小沢も過去のインタビューではお互いの“テレパシー”の存在を認め合っていった。
「で、『もうそういうのはいいや』って結論に達したわけなんだけど、だからこれって説明できないんですよ」(小山田)

解散直後は連絡を取り合わなくてもレコード店でバッタリ出会い、サインを求めてきた女の子に「今度再結成するんだ」と2人で嘘をつくなど、微弱なテレパシー状態が生きていたようだが、お互いがソロ活動を開始すると、『ロッキング・オン・ジャパン』誌上で舌戦を展開するようになる。2人の距離はどんどん離れていった。


小沢健二が語った解散理由


解散後もインタビュアーに問われれば比較的率直にフリッパーズのことを話す小山田に対し、小沢はフリッパーズについて語ることにナーバスになっていた。インタビュアーがフリッパーズの話題に触れただけで小沢が激怒し、取材が中断してしまったこともあった。

ソロの1stアルバムが発売された直後の『ロッキング・オン・ジャパン』でのインタビューは、小沢がフリッパーズについて触れているほぼ唯一の記事だ。
「(小山田は)やっぱりフリッパーズが終わるまでは親友だったと思うよ。だから、変なふうに言われちゃうのはよくわかんないよ。ただ、レコードを出すってそれだけのことじゃないからね。
ちょっと変なふうになってきちゃったし」(小沢)


この発言は、解散前から解散後にかけて、フリッパーズを取り巻く周囲の雑音によって、2人の関係が変化していったことを示唆している。

なお、さらに詳細な記事が『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』(文春文庫)に掲載されているので、そちらも併せてご覧いただきたい。
(大山くまお)

※イメージ画像はamazonよりOlive オリーブ 1996 1/18 新年合併特大号 表紙 小沢健二 フリッパーズ・ギター