2003年3月、長州力が興したプロレス団体『WJ』。杜撰な金銭感覚と時代のニーズに合わない試合展開等が重なり、あっという間に崩壊した悲運の団体である。
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当時は『PRIDE』を始めとする総合格闘技がブームだったこともあり、起死回生の一手としてWJでも総合の大会を開催したことがあった。
しかし、皮肉にもこれが結果として団体の寿命を縮めてしまうのであった……。

佐々木健介が500万円を投入! 可能性を秘めたイベントだったが…


その総合格闘技大会の名は『X-1(エックスワン)』。
03年9月、経営が行き詰まっていた団体を救うため、長州力の弟子である佐々木健介が自らの貯金を切り崩し、500万円もの大金を融資してまで開催したイベントである。

その健介が何でもありの試合形式「ヴァーリ・トゥード(VT)」に挑み、弱冠15歳の空手少年、中嶋勝彦がプロデビューする。さらに、海外から未知の強豪が大挙参戦といった触れ込みだった。
「X」には「無限の可能性」「未知のもの」といった意味が込められており、大化けの可能性もあった。


しかし、新日本プロレス時代からVTに否定的なスタンスであった長州がプロデューサーを務め、準備期間も非常に短い中での開催だ。記者会見の場で、長州が「今、ルールを知った」と爆弾発言した時点ですでに暗雲が立ち込めていた。

試合中に金網リング崩壊! 客席からは爆笑も


会場となった横浜文化体育館はさびしい客入り。2階席はほとんどガラガラ状態だった。
金網でリングを囲った中で闘うスタイルだったが、これは当時アメリカで勢いを増していた総合格闘技イベント『UFC』をモデルにしたもの。当時の日本では斬新なこともあり、専門の「ケージ(金網)ビルダー」まで用意されていたのだが、これが悲劇の始まりだった。

事件が起こったのが第4試合。
金網を留める蝶番が壊れてしまい、選手が激突するたびに金網が揺れて外れてしまうのだ。セコンド、関係者が金網を押さる中で試合は続行されるが、思わぬハプニングはヤジや失笑どころか、爆笑まで誘う始末。
試合自体もPRIDEとは比較にならない低レベルな内容が多く、Tシャツを着たまま闘う選手もチラホラ。会場に漂うゆるみきった空気、格闘技のイベントとしては異例の事態だ。

ちなみに、そのケージビルダーは第1試合に出場して負けた選手であった。
フォローしておくと、実はこのイベントで勝利した選手には、後に表舞台で成功したものが多かったのも事実である。


ゲストの北斗晶&武蔵も宝の持ち腐れ?


期待の中嶋は秒殺勝利で完勝。健介も危なげない試合運びで圧勝を収めたが、イベントとしての評価は最悪。

健介の妻である北斗晶が中嶋の試合に限りゲスト解説を務めたが、あっという間に試合が終わってしまったため、発したのはひと言のみ。
また、『K-1』から武蔵が来場し、リング上で中嶋に花束を贈呈し勝利を祝福したが、場内アナウンスによる武蔵の紹介はなし。武蔵もイベントを振り返り、「1番面白かったのは金網のドアが壊れたこと」と笑いながらコメントするほどだった。

ラウンドのインターバルに流れるのは『Xファイル』のあのテーマ曲。「X」繋がりのセレクトだろうが、不穏な空気を倍増させてどうするんだ!?
あらゆる面で空回りっぷりが見えたイベントであった。


試合に勝利するも骨折した佐々木健介


老舗のプロレス誌『週刊ゴング』は表紙に「VTをなめるな!!」と酷評。元『週刊プロレス』編集長のターザン山本氏も「(試合リポートを)プロとして書けと言われても無理だ」と断言。
イベントプロデューサーの長州はコメントも出さずに会場を後にしてしまい、バッシングを招くが、「穴があったら入りたい」心境は痛いほど伝わってくるのであった。

しかし、何よりダメージが大きかったのが健介だ。
試合には勝利したものの、右手親指を骨折して戦線離脱。しかも、融資した500万円は返済されることはなかった。
これらが重なり、健介は団体から独立。フリーのプロレスラーになるも仕事がなく、どん底を味わうことになってしまうのだった。

長州のポリシーに反してまで総合格闘技イベントを開催した背景には、スポンサー獲得のための台所事情が大きかったと言われている。
それだけ、当時の総合格闘技人気はプロレスを食ってしまっていたのだ。

健介・北斗夫妻がバラエティでよく語っている困窮していた時代の話は、この当時のことである。
その後、妻の北斗をマネージャー兼プロデューサーの「鬼嫁」として従え(従わされ?)、プロレス界のみならずバラエティ番組でも大活躍していくのはご存知の通り。
そう思えば、500万円は安い投資だったに違いない……!?

※イメージ画像はamazonより佐々木健介引退記念号―さらば愛しきプロレス (B・B MOOK 1045)