有名アーティストのバックバンドやバックダンサーがメジャーデビューするのはよくある話。
具体例を挙げると、井上陽水のバックバンドだった安全地帯や、安室奈美恵のバックダンサーだったSUPER MONKEY'SことMAXなどが知られています。


本稿で紹介する『Mi-Ke』も、名のあるミュージシャンを支える“縁の下の力持ち”だったところから、独り立ちしたグループの一組。女性3人組のアイドルユニットだった彼女たちは、かつてB.B.クィーンズのバックコーラスを務めていました。

バンド『たま』からもじって命名された


1990年5月にリリースされた『さよなら人類』の大ヒットで知られるバンド『たま』。
たまといえば、サザエさんの白猫。ならばこちらは、それぞれカラーの違う女性3人組のユニットだから三毛猫、つまり「ミケ」でいこうじゃないか……こんな感じで、Mi-Keというグループ名は決められたそうです。

抜群の人気を誇ったセンターの宇徳敬子


メンバーは、宇徳敬子、村上遙、渡辺真美の3人。
ダントツの一番人気だったのは、センターポジションを担う宇徳。同じビーイングに所属するZARDの坂井泉水同様、スターダストプロモーションのモデル出身だった彼女は、ルックス・スタイルはもちろんのこと、歌唱力でも秀でた正真正銘のエースメンバーでした。


それは、「Mi-Keの音源における9割が宇徳の声」という事実一つとっても明白。もしかしたらMi-Keは、後にソロワークスへ取り組む彼女のステップアップ用に、設立されたグループなのかも知れません。

懐メロのパロディを歌った


そんな宇徳を含む同グループが、B.B.クィーンズのコーラス隊から独立してメジャーデビューを果たしたのは、今から26年以上前となる1991年2月のこと。

この年は、ZARD、T-BOLAN、WANDSなど、後のビーイングブームを支えるアーティストが次々と誕生した時期。これら新生プロジェクトの中でも、「懐メロのパロディ」という明確なコンセプトを掲げていたMi-Keは、かなり異色の存在でした。

グループサウンズを現代に蘇らせた『想い出の九十九里浜』


記念すべきファーストシングルは『想い出の九十九里浜』。曲調はまんまグループサウンズのパロディ。ドンドンと鳴り響くティンパニの音や、曲間に口ずさむ「パヤパヤ」のコーラスなど、ザ・ピーナッツの名曲『恋のフーガ』からの引用もちらほら見受けられます。


歌詞に目を向けると、GS史を彩った12曲の名曲がズラリ。『夕陽が泣いている』⇒スパイダース、『花の首飾り』⇒タイガース、『バラ色の雲』⇒ヴィレッジ・シンガーズなど……。
60年代後半に青春を送った人にとっては、たまらない遊び心が、随所に取り入れられていました。

1993年に予告もなく活動停止


この『想い出の九十九里浜』は、日本レコード大賞・日本有線大賞・全日本有線放送大賞・日本ゴールドディスク大賞と、主要な音楽賞の最優秀新人賞を総なめ。
この年の年末には、デビュー1年目にして、紅白歌合戦への出場も果たしています。

その後も、『好きさ好きさ好きさ』(ゾンビーズのカバー)、『ブルーライト ヨコスカ』(『ブルー・ライト・ヨコハマ』のパロディ)、『涙のバケーション』(コニー・フランシス『Vacation』のパロディ)など、コンセプトに沿った楽曲を次々とリリースしていったMi-Ke。


しかし、1993年のシングル『Please Please Me, LOVE』を最後に、突然活動を停止してしまいました。ファンへのあいさつや公式な休止発表もないままにです。
当時、自然消滅の原因は仲の悪さと言われていましたが、真相や如何に……。
(こじへい)


※文中の画像はamazonより想い出のG.S九十九里浜