恐ろしい「隠れ教育虐待」 やり過ぎているか不安ならどうすればいいか
「あなたのためよ」という言葉が子どもを追い込む。外傷がない分だけ顕在化しづらいが、教育虐待は時に子どもたちに致命的なダメージを与える。

子育ては本当に難しい。

親とは子どもに少しでも幸せになって欲しくて試行錯誤を繰り返すものだ。

でもその試行錯誤は正しいのだろうか? 子どもためと思って行っていることは、本当に子どものためになっているのだろうか?

そうした自問自答を繰り返しながら親も成長していくものなのだろうが、時に試行錯誤が悲劇へと着地することもある。

人気教育ジャーナリストおおたとしまさ氏の最新作『追いつめる親 あなたのためは呪いの言葉』(毎日新聞出版)には、そうした悲劇の物語が登場する。
恐ろしい「隠れ教育虐待」 やり過ぎているか不安ならどうすればいいか
『おいつめる親』(おおたとしまさ著/毎日新聞出版)。

教育虐待で子どもが受ける傷は大きい


過干渉の教育ママに育てられ、カウンセリングを受けるまで30年以上母親の呪縛から逃れられなかったケース。家庭教師のスパルタ教育によって、志望校に受かったものの摂食障害を患ってしまったケース。どんなにいい成績をとっても母親にけなされ続け、母親に対する殺意を抱いた自分に恐れをなしシェルターに逃げ込んだケース。そしてすべてを管理しようとする親に育てられ、27歳で自らの命を絶ってしまったケース。

こうした話は「教育虐待」と呼ばれ、2012年に毎日新聞の記事に登場して以来、徐々に知られるようになってきた。


教育虐待はいわゆる児童虐待と異なり、外傷などわかりやすい痕跡が残らない場合も多いのでニュースになることも少ないが、虐待を受けた子どもに残す傷は大きく、最悪の事態にもつながりうるというのは例示したとおりだ。

とはいえ「教育虐待」という言葉を聞いた時、多くの人は自分事とは思わないのではないだろうか? しかし本書を読み進めていくと、それが決して遠い世界の話ではないということがわかってくる。

「教育虐待の取材をしていると知人に話すと、『私も実は母親の呪縛にとらわれていて』という風に話しだす人が多いんです」(おおた氏)

本書や新聞記事などでとりあげられているハードなケースだけでなく、事件化はせずとも子どもの心に大きな痛手を負わせてしまう「隠れ教育虐待」を含めれば、その被害者は相当多いと想像される。

実際本屋に行くと『私は親に殺された!東大卒女性医師の告白』(小石川真美著)、『解縛 しんどい親から自由になる』(小島慶子著)、『私は私。母は母。あなたを苦しめる母親から自由になる本』(加藤伊都子著)、『家族という病』(下重暁子著)など、毒親/毒母と言われる一つのジャンルができあがっているほどだ。


恐ろしい「隠れ教育虐待」 やり過ぎているか不安ならどうすればいいか
育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏。中学受験は親子を成長させるということを提唱する一方で、その負の側面に触れた教育虐待の問題も積極的に取材している。自身もカウンセラーの資格を持つ。

高学歴な家庭でも起きる教育虐待


いわゆる児童虐待というと貧困との相関が指摘されることもあるが、教育虐待というとある程度教育水準の高い比較的裕福な層の中でも起きる。

高学歴の両親ゆえ自分の子どもの成績が悪いことを認められず、過剰な勉強の押し付けをしてしまうケースもある。逆に自分に高い学歴がなく苦労したので、子どもには高学歴をつけさせようと無理をさせてしまうケースもある。厄介なのはどちらも「子どものため」を思っての行動から来ているものだということだ。

しかし無理に勉強をさせても、子どもがそれについていけず心が折れてしまうこともある。もっと難しいのは実際にいい成績を残せても、それが子どもの幸せに直結しないということだ。

本書ではある医師専門の人材マネジメント業者のコメントとして「医師の多くは、自分の意思で医師になったわけではありません。
実は医師の多くは、職業選択の自由が与えられなかった人たちなのです」(『追いつめる親』より)というものを紹介されている。おおた氏は彼らが自分の人生を生きている実感に乏しい可能性があることを指摘している。

ならば子どもには無理をさせずに好きなようにやらせるのが一番かというと、話はそんなに単純じゃない。スポーツ選手が幼い頃から英才教育を受けて超一流になったという成功譚は美談として語られるし、実際に親が名伯楽として子どもの才能を伸ばすこともある。厳しい指導と虐待の境をどう見極めたらいいのだろうか?

「これは本当に難しい問題です。子どもが育つ環境において大人との関わりや大人からの刺激はとても大事ですし、時には負荷やプレッシャーが子どもを育てます。
限度を見極めるのには親に観察眼が要求されます。子どもは一人ひとり違いますし、マニュアル的な正解はありません。できるだけ小さい頃から子どもと関わりを持って、さじ加減を覚え親としての目を肥やしていくしかありません」(おおた氏)

やり過ぎているか不安ならどうすればいいか


それでは自分がやり過ぎているかも知れないと不安を感じている人はどうすればいいのだろうか?

「気づくことができただけで、かなりいい兆候です。その場合でも焦らないでください。きちんと子どもに対して目を向けてあげた上で、自分の弱さや未熟さも認めてください」

そう話した上で、おおた氏は続ける。

「親の人間的未成熟さゆえに過度のスパルタに走るケースもあるのですが、自分自身が同じような虐待を受けてきたのが、無意識に子どもに対して同じことをしてしまうという負の連鎖のケースも多いのです」

そうした場合は、自分が親にされたことを繰り返さないように気をつけるべきとしながらも、理想的には経験あるカウンセラーのカウンセリングを受けるべきとしている。


「カウンセリングに対する理解の乏しい日本の社会においては勇気のいることかも知れませんが、本人が自分と向き合うことなくして連鎖を断ち切ることはできません」

くれぐれもすべてを一人ですべてを抱え込まず、積極的に周囲の協力を得るべきだということだ。

「子どもは社会の宝です。この言葉には二つの意味があると思っています。一つは社会全体で子どもを守ろうという意味です。そしてもう一つは子どもは自分の私物ではなく、社会の宝をお預かりしているという意味です。親がそういう意識で子育てをすれば、社会の方も応援してくれるでしょう」(おおた氏)
(鶴賀太郎)