「漫才」と「コント」の違い、言えますか?
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昨年末の「M-1グランプリ」決勝で、「ザ・プラン9」が行った“漫才”に、「目からウロコ」の思いだった。「5人で漫才っていうの?」と。


一般に、漫才というとコンビ、もしくはトリオのイメージがある。なのに、5人でも「漫才」とは……。実際、ある審査員も「これを漫才と呼ぶかどうかは別として」と評していたけど。

また、先日、ある番組でペナルティが「今日は漫才をやります!」と宣言したにもかかわらず、奇抜なコスチュームをまとい、ホワイトボードを携えて出てきたのには、思わず「コントじゃん!」と心の中でツッコんでしまった。
でも、番組内で「漫才じゃない!」とツッコんだのは、ますだおかだだけ。あれ? 小道具とかを使わず、扮装をせず、しゃべりのかけあいで見せるのが「漫才」だと思っていたのだけど……。
漫才でコスプレ&小道具もありなのか。

となると、漫才とコントの違いって何なのか。その定義は? (社)漫才協会に聞いてみた。

「コントは大正時代に欧米から移入され、バラエティーの場面転換とショーのいろどりとして定着したもの。2人ないし数人で演じ、当初は“寸劇”といわれていたように、演劇の延長線上にあったため、扮装し化粧し、必要があれば、ちょっとした小道具等も使用しました」
と、常任理事の「ナンセンス」・岸野猛さんは説明してくれた。
対して、漫才は、「三河万歳」が発祥で、太夫と才蔵が装束と烏帽子に鼓を持って演じたのが始まりとか。

「当初は慶事に行われていたものが、各地を商売して歩くうち、後に劇場ができて、そこに定着したものです。最初のころは、音曲漫才が主流で、鼓、三味線で唄あり、軽口ありで構成されていたんですよ」

今のスタイルとまったく違うけど、これはいつから?
「昭和に入って、現在の漫才の祖といわれるエンタツ・アチャコが登場してからですね。2人は楽器を持たず、背広姿で演じた『早慶戦』で、その地位を不動のものにしたんです」

コントとの大きな違いは、「扮装をしない」「芝居の化粧をしない」であり、「軽口を叩き合う」構成だそうだ。やっぱり扮装も化粧もしないんだ! と鼻息を荒くしていると、ただし、こんな一言が。
「現在の漫才にはコントの色合いの濃いものもあります。その代表者は、やすし・きよし。
きよしは喜劇役者の石井均の弟子として芝居を経験しており、従来の漫才からはみ出すような奔放な発想の持ち主・やすしと組んで、漫才の利点と芝居の利点のベストコラボレーションをなしとげたんですよ」

岸野さんは、さらに今後はますます融合が行われ、その境は段々となくなっていくのでは? として、こう言った。
「究極の目的は両者とも、大きな笑いという一点に集約されるのだから、定義ウンヌンはナンセンスなのかもしれませんね」

確かに、形式よりも、肝心なのは、面白いかどうかということ。見ている側の自分の頭が、かたかったのだなあと痛感しました。
(田幸和歌子)