毛沢東死去37周年…巨像に花、記念活動も=中国

2013年9月10日 12時08分 (2013年9月17日 00時12分 更新)

 9月9日で、中国で“建国の最大の功労者”とされる毛沢東主席が死去して37年となった。中国では、今なお全国に残る像に花がささげられた。北京市内では関連書物の出版記念座談会が開催された。(写真は「CNSPHOTO」提供)(サーチナ)

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 9月9日で、中国で“建国の最大の功労者”とされる毛沢東主席が死去して37年となった。中国では、今なお全国に残る像に花がささげられた。北京市内では関連書物の出版記念座談会が開催された。(写真は「CNSPHOTO」提供)

 毛沢東主席は1893年12月26日に、湖南省で生まれた。76年9月9日に北京市内で死去。82歳だった。中国共産党創立党員の1人。ソビエト共産党の指導を絶対視する路線に批判的だったために「冷遇」されたこともあったが、1934年1月15日のた中国共産党中央政治局拡大会議(遵義会議)をきっかけに、実権を握ることに成功した。

 その後、日本との戦争に耐え抜き、戦後は国共内戦に勝利。1949年10月1日に、北京市中心部の天安門上で、中華人民共和国の成立を宣言した。その後、独裁体制は強化され、「毛沢東」という存在そのものが神格化されていった。

 1956年には、中国共産党に対する批判を歓迎する「百花斉放百家争鳴」運動を始めるが、57年には批判者を大弾圧する反右派闘争を発動した。

 58年には大躍進政策を開始。経済面で米国や英国を数年で追い越すとした。現実を無視した増産で、天候不順も重なったために全国で2000万-5000万とみられる餓死者が出たとみられている。

 大躍進には、伝統的ま土法炉で鉄の大増産を図ったが、できた鉄は品質が悪く工業材料として使い物にならなかった。燃料として木炭を大量に使ったので、莫大な量の樹木が伐採され、現在に至るまで洪水が多発する原因になった。

 鉄鉱石や砂鉄が足りなくなり、人々は鍋や釜、農具までを拠出させられ、生活が難しくなった。農作物を食い荒らすとして人々を大量動員してスズメの撲滅運動を行ったため、害虫が大量発生して農業生産が大打撃を受けた。

 状況が最も深刻だったのはチベット地域で、中国社会科学院の1989年の発表では餓死者は1500万人、外国の研究者によると3000万人に達した。

 毛沢東も大躍進の失敗を認め、国家主席の座を劉少奇に譲った。劉少奇はトウ小平を右腕に、経済建設に着手。農村の危機的状況もやや改善された。

 毛沢東は、大衆の間で自らへの崇拝が根付いていたことを利用し、神格化をさらに推進。そのうえで、文化大革命を発動して劉少奇とトウ小平を失脚させた。

 文化大革命は1960年代半ばから毛沢東の死去までの約10年間続いた。トウ小平など「実権派」を追い落とす政治運動だったが、実権派を攻撃するグループが分裂し、互いに武力闘争を繰り返した。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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