「男が惚れる男」といったところでしょうか。いや、そんな生易しい表現ではとても追いつきません。
なにせ昭和の大俳優であり、数々の大人物をその目で見てきた勝新太郎が心底惚れぬいたというのだから、とんでもない傑物です。その人物の名は稲葉浩志。言わずと知れた、音楽ユニット「B'z」のヴォーカルです。

酒場での出会いから始まった2人の交流


世代も違えばジャンルも異なり、人柄だって全く相反する2人。一体どこで接点があったのかというと、90年代前半、六本木にかつてあった『田賀』という酒場で遭遇したといいます。この店は勝の行きつけであり、その日も彼は大好物のお茶漬けを食べに『田賀』へとやってきました。扉を開けるとそこには、1人の男がカウンターに座っています。
普段はマスターが気を利かせ、騒ぎにならないようと、勝のために貸し切り状態にしているにも関わらず。
「誰だ…?」。自身の安息地に踏み入ってきた男の顔を勝は訝しげに覗き込みます。すっと通った鼻筋にシャープなあご、薄い唇。精悍な顔立ちの美丈夫です。なによりも目がいい。
少し垂れた奥二重から覗かせる印象的な黒い瞳。何かを成し遂げる予感のする、強い男の眼でした。
勝は一瞬にして心を奪われます。見た目からして20代中頃から30代前半。どこの誰だか分からない。けれど、何か特別なものを感じるこの青年に、勝はこう言いました。


「おめえさん、いい顔してるな。おめえさんの目は本物の目だ。いい、凄くいい。裕次郎以来、久し振りに本物に出会った思いだ」

「ありがとうございます」。青年は恐縮しきった表情で謝辞を述べます。見た目よりもずっと謙虚そうです。
この青年こそ、稲葉浩志でした。当時からB'zとして活躍していた稲葉でしたが、勝は彼が人気音楽ユニットのヴォーカルだと知らなかったのでしょう。「おめえさん、俳優にならないか?」といきなり、スカウトしたというのです。当然、稲葉は音楽活動を理由にこのお誘いを丁重にお断りしました。

稲葉浩志に兄の形見までプレゼントした勝新太郎


実はこれ、たまたま店に来た稲葉を、勝に会わせようとしたマスターの粋な計らいだったのだとか。いずれにせよ、この日から2人の交友関係は始まります。同時に、勝はB'zの熱心なファンの一人になり、自分でチケットを購入し、可能な限りコンサートへ足を運ぶようになったのです。


横浜スタジアムでの「BUZZ」ライブでは、実兄・若山富三郎の遺品であるニューヨークヤンキースのテンガロンハットを稲葉へプレゼント。納骨式のときに、カメラの前で泣きながら遺骨を食べて見せたほど、敬愛していた兄の忘れ形見です。それを譲り渡すほどに、この“本物の男”を気に入っていたのであり、稲葉もその想いに応えて、ライブの一曲目からハットを被って登場します。
今では若山富三郎の形見から勝新太郎の形見と変わったそのテンガロンハットは、稲葉のプライベートスタジオに大切に飾られているそうです。

2人の絆が生んだ一杯のお茶漬け


このライブから少し経ち、勝はガンにおかされて入院生活に入ります。稲葉は自身初のソロアルバム『マグマ』に、こんなメッセージを添えて、彼の元へ送りました。
「早く元気な顔を見せてください」。その思いやりに、勝はいたく感動。死ぬまで何度も繰り返し、アルバムを聴いていたそうです。

現在、勝が贔屓にしていた前述の『田賀』は、赤坂見附に移転して、今でも営業を続けています。おススメのメニューは「バズ茶漬け」。横浜スタジアムでのライブにいたく感動した勝が、その時のツアータイトル「BUZZ」にちなんで名付けたそうです。本物の男同士の絆が生んだ逸品。B'zファンでなくても、ぜひ、堪能してみたいところではないでしょうか。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより志庵