近年は「丸くなった」と評されることも多いシンガー・長渕剛。まだ30代だった90年代は、かなりの尖りぶりで、世間をにぎわせていた。


紅白のスタッフを批判した長渕剛


最近こそ、紅白歌合戦にも顔を出す長渕だが、90年代は“ある事件”をきっかけに、しばらくNHKを出禁状態だったという。それは、彼が初出場を果たした90年の紅白でのこと。
当時、東西ドイツ統一が成されたばかりのベルリンからの生中継という、破格の扱いを受けた長渕。だが開口一番、「こちらに来たら、現場を仕切ってるのがみんなドイツ人でね。共に戦ってくれる日本人なんて一人もいませんよ。今の日本人はタコばっかりですわ」と、スタッフを非難した。

歌いすぎた長渕、現場は大混乱


さらに長渕は、この紅白で『乾杯』ほか計3曲を堂々と歌唱(その際の歌唱時間15分は、紅白史上最長とされている)。そのあおりを食い、ほかの大物歌手の歌唱時間が短縮されるなど、現場は大混乱に。

植木等は『スーダラ伝説』を10分41秒から4分50秒に大幅カット。五木ひろしは「僕なんて20年連続して出ていても3分ですから。すごい人なんですね」とあきれ気味にコメントした。

こうしたいざこざから生まれた両者間の“タブー”は、03年に長渕が12年ぶりに紅白に出場したことで解禁。その際は、長渕が楽曲提供した森進一のステージで、長渕はギターとコーラスを担当する大サービスを見せている。
その後、紅白にはさらに2回出場、『SONGS』にも出演など、良好な関係を保っているよう。


また、後にNHKホールで行われた自身のライブでは、この一件でNHK出禁になったことに触れ、「糞生意気なガキだったんだよ、ほんっとにすみません」と自虐的に振り返っていた。

レモン持たない事件


レモンを待ったタレントの表紙でおなじみの『週刊ザテレビジョン』。だが長渕は、91年、93年と2回とも、レモンを持たずに表紙に登場。長渕といえば「レモンを持たない」ことが伝説化していった。
ところが20年後の13年、日本テレビのバラエティ『しゃべくり007』に出演、、その“伝説”に触れた長渕は、「(次に話が来たら)なんならカゴで持つよ!」と宣言。編集部の依頼を受け、同年5/24号の表紙ではレモンを2個持ってスマイル。インタビューページでは、宣言どおりカゴ持ちをするなど、大盤ぶるまいを見せた。


当時を振り返った長渕剛


同誌のインタビューに長渕は、「早く素直になればよかったな(笑) 素直になるって気持ちいいなと思うね」と、まんざらでもない様子。「伝説だとか言われるけど、“え、そうだったの?”って感じで。別に“やらない”って言ったわけじゃないんだよ。俺も記憶が定かじゃないけど、恐らく当時わがままを言って困らせたんだろうな」と振り返った。

当時はほかに、歌詞をめぐって桑田圭祐との遺恨もあった長渕。みずから伝説を築いては、10年、20年かけて氷解させてきただけに、桑田との“仲直りライブ”共演も見たいところだ。

(青木ポンチ)

長渕剛:民衆の怒りと祈りの歌 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)