大塚家具の経営方針をめぐる父娘の対立が大きな話題を呼んでいる。露出度では、韓国・大韓航空の「お嬢様」(元副社長)が起こした「ナッツ・リターン事件」を上回っているのではないかと思われるほどの「お家騒動」として取り上げられた。

経営の議論としては、マスコミの報道だけでは洞察されていない点が多々ある。とはいえ、日本企業の9割以上を占めるファミリービジネス(同族企業)のイメージという点においては、度重なるダメージとなった。創業家も会社も円満で健全な経営を展開している同族企業は日本だけでなく世界中にたくさんある。そのような企業にとっては大いに迷惑な話といえよう。

 この騒動の裏で、発表時は注目されたもののすっかり鳴りをひそめてしまった大きなニュースがある。インスタントラーメン(「チキンラーメン」)の発明者であり日清食品の創業者・安藤百福氏の孫で、安藤宏基・日清食品ホールディングス(HD)現社長の長男に当たる安藤徳隆・同社専務が、日清食品社長に就任(2015年4月1日付)するというトップ人事だ。


 慶應義塾大学時代(同大学院理工学研究科修了)にラクロスで活躍し、日本代表になったというスポーツマン。04年から安藤スポーツ・食文化振興財団に勤務し、百福氏が亡くなった07年に日清食品(現日清食品HD)に入社。経営企画部長、取締役などを経て10年6月から専務を務めていた。入社からわずか8年で中核子会社の社長になる。

 マスコミでは「37歳」という年齢ばかりがクローズアップされており、インターネット上でも「37歳といえばサラリーマンでやっと中堅管理職。やはり世襲は楽勝」といった見方が散見される。
しかし、海外、特に中国やインドでビジネスをしたことがある人には今さら説明するまでもないが、「37歳」は決して若くなく、社長になっても珍しい年齢ではない。むしろ、社長としては適齢期である。

 もっとも、高齢者が経営者を務めることは決して悪くはない。業態、企業の事情によっては、それが最適という場合もある。結局、年齢云々で一概に社長の良し悪しを決めつけられない。

 こと日清食品に関しては「若さ」が求められる。
海外売上比率がまだ20%でしかないゆえ、グローバル化の推進は焦眉の急であるからだ。国内では、今も日清食品が即席麺市場世界一であると思われがちだが、現実は違う。13年に台湾の頂新国際集団に首位の座を明け渡してしまった。アメリカやメキシコでは、ライバルで営業利益も上回る東洋水産に後塵を拝している。巻き返すには、思考力だけでなく馬力と行動力が必要である。社長になれば、しょっちゅう飛行機に乗って外国を飛び回らなくてはならない。
当然、体力が重要な条件になってくる。

 とはいえ、年功序列の要素が残っている日本の企業組織において、「30代の若僧」が多くの先輩を抑えてトップに就くことは現実的には難しい。三井物産のようなサラリーマン社長が就任し続けてきた会社では、54歳の安永竜夫執行役員が役員序列で32人抜きを果たし新社長に就任する(4月1日付)トップ人事が大きなニュースになる。抜かれた先輩たちの思いをつづった記事が、週刊誌に大きく掲載されるお国柄である。それゆえ、30代で社長になるには、相当な根回しをするか、強権を発動するしかない。このような「世界の非常識」が「日本の常識」である状況下では、大胆であると見られるトップ人事を行えるのがファミリービジネスの強みといえよう。


●ワコール、世襲社長の山あり谷あり

 しかし、ファミリービジネスといえども、上場企業で二代目、三代目が若くして社長に就任すると、「いまどき世襲か」と冷たい目で見られるのが現代の一般的傾向である。それは、今に始まったことではない。

 ワコール創業者・塚本幸一氏の長男である塚本能交氏が1987年、40歳を前にして社長に就任した直後に、筆者はインタビューしたことがある。開口一番に発したのが次のセリフであった。

「皆さんご存じのように私は、頭も悪いし、スポーツも苦手です。子供の頃は、『やーい、パンツ屋の息子』と言われて、いじめられていました。
何もできない奴ですので応援してください」

 筆者は、社交的である一方、先祖を敬う厳格な創業者(幸一氏)にインタビューをしたことがあるだけに、父子のイメージに大きなギャップを感じた。しかし、理屈抜きで人当たりの良い人であるという第一印象を持ったものだ。そもそも社長になった動機も他のトップと違う。

「すごく怖い番頭さんと優しい番頭さんがいらっしゃいました。ある日、怖い番頭さんから『ちょっと来い』と呼ばれました。行ってみると突然、『社長になれ』と言われたのです。思わず、『はい』と言ってしまいました。父とはあまり話をする機会はありませんでしたが、番頭さんからは可愛がられたり叱られたりしていました。小さい時、銭湯に行って体を洗ってもらっていた人ですよ。逆らえませんよ」

 その後、紆余曲折はあったが、アメリカを中心に海外展開を成功させ、24年間にわたり「安定政権」を築いた。就任当初と比べれば年を重ねたこともあり貫禄が出てきたが、基本的な性格は、あまり変わっていない印象だ。

 土曜日は家にいて、テレビで競馬を観戦しているという。従業員と飲む時は、お酌もして回る。実力以上にしっかりしたふりをするだけでは人はついてこないことを最初から自覚しながらも、要所要所で強い権限を発動した。もちろん、それが裏目に出たこともある。社長就任時は、世襲経営者によくある傾向が見られた。「父の事業を継承するだけでなく、自分の力で大きな新事業を成功させたい」――これである。もちろん、新規事業創出という観点からすれば、大切なモチベーションである。否定すべきものではない。だが、それを成功させるには、きっちりとした戦略が土台にあり、経営資源が整っていなくてはならない。

 社長初期の能交氏は未熟だった。京都のレーシングカーコンストラクター・童夢のスポンサーになり、1億円もするスーパーカーの製造・販売やライセンスビジネスに手を出したが、すぐに撤退した。さらに、フローズンヨーグルト、紳士服の販売にも参入するが、すべて失敗に終わった。それでも、父・幸一氏が「失敗は良い経験になった。体で覚えた失敗は成功の要因になる」と弁護ともとれる発言をして解任しなかったことが、今もジャーナリストたちから「世襲経営の失敗事例」として取り上げられている。

 それにとどめを刺す事件が起こった。09年8月、東京・六本木ヒルズのレジデンス(高級住宅棟)の一室で女性が死亡。それに関わったとして、俳優の押尾学が合成麻薬MDMAを使用した麻薬取締法違反容疑で逮捕された。事件発生現場は、ワコールが買収し完全子会社化した女性用ランジェリーの通信販売会社、ピーチ・ジョンの創業社長である野口美佳氏が個人名義で借りていた部屋だった。野口氏は押尾だけでなく、他のタレントたちとも派手な交流で知られていた。女性用下着というファッション商品を扱う企業の性格上、その経営者には厳格さだけでなく、華やかさが不可欠と考えていたのかもしれない。

 ワコールの幸一氏も第二次世界大戦時、中国や東南アジアを転戦し、インドでインパール作戦に加わり生き残った経験からか、戦中派独特の「生かされた人の思い」を備えていた。その一方で、「都をどり」の実質的スポンサーを務めるなど、非常に華やかな行動とネットワーク力で、京都財界では一目置かれていた。その異色の資質が、京都の若い経営者も育てた。京セラ創業者の稲盛和夫氏は振り返る。

「何か会合があると、『稲盛君も来ないか』と電話をいただきました。社交下手な私が、たくさんの立派な経営者とお会いできたのは、塚本(幸一)さんのおかげです」

 能交氏も幸一氏の華やかさを引き継いだ。憎めない人柄で、地味なサラリーマン社長が不得意とする派手な人も違和感なく近づいてくる。うまくすれば、新しい世界が広がる。下手をすれば、思わぬ落とし穴が待ち受けている。貧乏臭くない二代目が気をつけなくてはならない点である。「そんなことは言われんでもわかってるわ」とシニアになった能交氏から叱責されそうだが、六本木事件の失敗からも大きな教訓を得たはずである。

●公人としての自覚

 現在、北京ワコール総経理時代、中国での事業を拡大し、国内でもメンズ事業などで実績を残した生え抜きの安原弘展氏に権限を委譲した。能交氏自身は兼務していた持ち株会社のワコールホールディングスの社長を引き続き務め、9つの事業会社を統括している。

 能交氏が口に出し強調しているわけではないが、結果的に「足るを知る」を悟ったのではないだろうか。これは自身を卑下する単純なコンプレックスではなく、自分の足らない点を能力ある人に補ってもらう、という経営の神髄を、身をもって学んだと考えられる。

 ちなみに、日清食品の安藤家とワコールの塚本家は、姻戚関係にある。というのは、安藤徳隆氏と塚本能交氏の夫人は、いずれもコクヨ創業家(黒田家)出身者であるからだ。安藤徳隆夫人は黒田章裕・コクヨ現社長の長女、塚本能交夫人が黒田・元社長の3女である。

 日清食品は大阪、ワコールは京都で生まれた関西企業。関西では戦前から、ビジネスで成功した人たちの子息と令嬢が結婚し姻族となってきた。ちなみに、コクヨの黒田家は竹中工務店ともつながっている。竹中統一・社長夫人は、塚本能交夫人の姉(黒田氏の2女)。さらに、政界にまでパイプは続く。竹中宏平・元社長の長男・祐二夫人は、竹中登・74代総理大臣の3女である。

 中部経済圏も似ている。こうした関係を、あたかも戦国時代の政略結婚のように見る向きは少なくないが、必ずしも結婚を通じてビジネスで多大な恩恵を受けているわけではない。むしろ、物心がついた頃から「公人」と接し、日々その話を聞いてきた新郎新婦はお互いに、「公人」とは何であるかを教えなくても知っている。そのため、(ファミリービジネスの)経営者という特殊な仕事が理解できること、そして、他の創業家で公人意識を教育された伴侶を得たことで、「公人としての自覚」がさらに高まることを期待しているのだろう。

 もっとも、専門経営者(サラリーマン社長)も従業員、顧客、取引先、株主などさまざまなステークホルダーに対して最高責任を負う「公人」だが、ファミリービジネスが大きく異なる点は、ファミリーが絡んでいることである。

●「良きファミリー」とは何か

 ファミリービジネス(同族企業)の特徴とは、どういうものだろうか。これを単純化したのが、J・デービス米ハーバード大学教授の「スリー・サークル・モデル」である。図を見ただけでも、ファミリービジネスが経営者企業よりも複雑であることがわかる。

※詳細図表は以下を参照
 http://biz-journal.jp/2015/3/post_9161.html
 
 経営者企業(非ファミリービジネス)であれば、専門経営者はマネジメントとビジネスの結果だけを意識していればいい。ところがファミリービジネスは、そうはいかない。創業家(ファミリー)と、彼らが有するオーナーシップにも配慮する必要がある。言い換えれば、専門経営者の家族は経営と関係ないが、ファミリービジネスの場合は家族が企業の運営に影響を及ぼすということになる。

 経営者企業が多い大企業群の中で、あえてファミリービジネスを展開し差別化していくには、ファミリーが関わる長所を発揮しなくてはならない。そのためには、良きファミリーが求められる。良きファミリーとは、俗にいう「楽しい家庭」ではない。365日、家族の全員が会社の経営を考えているファミリーである。子供までが会社の財務内容を把握しておけ、と言っているわけではない。その立場に応じて、会社がより良くなるよう意識している姿勢である。まず、そのような人は一般家庭にはいないだろう。だからして、ファミリービジネスの社長夫人は「公人」でなくてはならない。単なるセレブな奥様であるだけでは不十分なのである。

 最後に、次のエピソードを読んで読者がどう考えられるかはご自由である。しかし、経営は表層的な現実だけを見て、良し悪しを論じられない。

 能交氏には結婚前、付き合っている女性がいた。父・幸一氏に紹介したところ、「やめておけ」と言われたのだった。その心は、「お前は公人である」。能交氏は悩んだ末、父が持ってきた現夫人との縁談を受け入れたのだった。能交氏は結果的に結婚を悔いていないようだ。

「私は女房に家庭をすべて任せています。彼女がいくらこづかいを使ったかも知りません。お金をください、何かを買ってくれ、と言われたこともない」(能交氏)

 日々、苦しい暮らしを強いられている薄給サラリーマンにとっては、一生のうちに一度でも言ってみたいセリフだが、見方を変えれば「公人」としては理想的な環境にいるのかもしれない。家庭のことにとどまらず、サラリーマンにつきものの私欲や出世欲などとは無関係で経営に集中できるのだから。もちろん、異論はあるでしょうが。
(文=長田貴仁/岡山商科大学経営学部教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー)