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オーエン・ハート“カルガリーの天才児”と呼ばれた男――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第313回(1999年編)

2017年3月21日 08時51分 (2017年3月21日 09時10分 更新)

“カルガリーの天才児”オーエン・ハートがリング上のアクシデントで不慮の事故死。実況アナのジム・ロスは「これはショーの一部ではありません。大きな問題が起きました」とアナウンスした(写真はマーサ・ハート著「ブロークン・ハーツ」表紙より)

 なぞのマスクマン、ブルー・ブレーザーは天からリングに舞い降りてくるはずだった。

 “魔の一瞬”は第3試合開始の直前に起きた。ブルー&レッドのマスクに白いフェザー(羽)のマントを身にまとった人の影が観客の目のまえでいきなり空から降ってきて、コーナーポストの金具に激突し、そのまま動かなくなった(1999年5月23日、ミズーリ州カンザスシティー、ケンパー・アリーナ=PPV“オーバー・ジ・エッジ”)。

 セキュリティーがすぐにかけつけてリング上で人工呼吸などの応急処置をほどこしたが、すでに意識はなく、数分後に現場に到着した緊急医療チームがカンザスシティー市内のトゥルーマン・メモリアル病院に搬送したが、まもなく死亡が確認された。

 “ブルーの衣装”を身にまとったレスラーは、かつて“カルガリーの天才児”と呼ばれたオーエン・ハートだった。

 “天才”のあとに“児”がつけられたのは、オーエンが12人兄弟の末っ子だったからだ。

 カナダ・カルガリーの名門レスリング・ファミリー、ハート家は男8人と女4人の大家族。元WWE世界ヘビー級王者“ヒットマン”ブレット・ハート(六男)をはじめとする8人のブラザーたちはいずれもプロレスラーで、長女エリー(夫はジム・ナイドハート)はWWEのナタリアの母親、四女ダイアナは新日本プロレスで“鈴木軍”のメンバーとして活躍しているデイビーボーイ・スミス・ジュニアの母親である。

 “プロレス地理学”においてカルガリーと日本はひじょうにディープな関係にあった。
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