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「シンプルに端的に」の逆を行く 滝口悠生・新刊『茄子の輝き』を語る(前編)

2017年7月17日 19時00分 (2017年7月28日 18時22分 更新)

「小説」や「文学」に対する一般的なイメージとして多いのは「難しくて読みにくい」「よくわからない」といったものだろう。それだけに、「どうせ最後まで読めないから」と敬遠されてしまうことが起こり得る。

しかし、「よくわからないが、抜群におもしろい」「読みにくいが、なぜか読めてしまう」類の小説は、確実に存在する。

滝口悠生氏の小説はその代表格だろう。スピード感のあるストーリー展開で、読者を物語に引っ張り込んでいく、というタイプではない。語り口はゆっくりと、迂回したり、寄り道したり、立ち止まって佇んだりのそぞろ歩き。もどかしさを感じるかと思いきや、案外それが心地よかったりする。

そんな世にも不思議な「滝口ワールド」。ご本人はどう考え、どう創りあげているのだろうか。(インタビュー・記事/山田洋介

■揺れ動く思考と記憶を捉える――滝口さんの小説は、作品に強烈にひきつけられるというよりは、読みながら自由に思索したり、自分の記憶を手探りしたりする楽しさがあります。こうした効果についてはある程度、意識して書かれているように思ったのですが、いかがでしょうか。

滝口:それは自分の小説の書き方と関係があるかもしれません。語り手が考えることや見るものが、ある程度の「散漫さ」を保つようにといいますか、単純な因果関係や感傷みたいなものに小説が引っ張られすぎないように気をつけています。

「そうかもしれないけど、そうじゃないかも」というように、焦点を広めにとっているのがそういう効果につながっているのかもしれません。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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