“灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感

2016年1月5日 08時45分 (2016年1月23日 15時31分 更新)
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■「悔しいのですが、天才はほんとうにいる」
「劣等感にずっとさいなまれてきたから、私しか持っていない力で勝負してやろうと生きてきました。私の力では、絶対に勝てない人たちはいます。悔しいのですが、天才はほんとうにいるのです」
東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)が、自らのキャリアを振り返った。長年にわたり、津波や歴史地震学の権威として精力的な研究活動を続けてきた。2011年3月11日の大震災では、発生直後からNHKの番組などで津波についての解説をしたことでも知られる。
12年3月に64歳で定年退官し、現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。一方で、海外の研究者が来日すると、東北などの被災地を英語やロシア語を駆使して案内する。
都司さんは甲子園球場の近くの小学校に通っている頃は、常に1番の成績だった。灘中(神戸市)に進学すると、1学年150人ほどのうち、130番前後になった。
「はじめて強烈な劣等感を持ちました。私の学力ではかなわない生徒ばかりだったのです」
中学2年から3年になるとき、父の仕事の関係で都内に転居し、麻布中(港区)に転校した。一学年270人で、成績は常時、50番以内になった。
東大(理科一類)の受験では、得意の地学でほぼ満点だったという。
「あの頃、東大の試験で地学を受ける人は少なかったのです。

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