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村野藤吾の出世作「宇部市渡辺翁記念会館」に見る、街の歴史と建築の関係

2017年5月20日 11時00分 (2017年5月26日 10時54分 更新)

村野の作品として、初めて国の重要文化財に指定された建築


2017年3月に行われた村野藤吾「八幡市民会館」の存続問題を巡って開催されたフィールドセミナー、「村野藤吾のホール建築」(講師:京都工芸繊維大学笠原一人助教、主催:Club Tap)。

今回も以前の記事に書いた「米子市公会堂」に続き、「宇部市渡辺翁記念会館」についても触れておきたい。

「宇部市渡辺翁記念会館」は村野の作品として、初めて国の重要文化財に指定された建物だ。



市の礎を築いた偉人を顕彰するために計画された公会堂


「宇部市渡辺翁記念会館」の竣工は、日中戦争の戦渦が迫る1937(昭和12年)4月。村野にとっては独立8年目に当たる、比較的初期の作品だ。その建設経緯を説明するには、建物の名に冠された、宇部という街の歴史と、「渡辺翁」という人物について触れなくてはならない。

明治半ばまで半農半漁の小さな村に過ぎなかった宇部を、市政を敷くまでに発展させたのは、炭田開発だ。渡辺翁こと渡辺祐策(すけさく)を中心に、地元の人々が出資して、「沖ノ山炭鉱」を創業したことに始まる。

渡辺の先見性は、石炭景気に甘んじず、機械やセメント製造など、新しい事業を次々と興したところにある。「有限の鉱業から無限の工業へ」。限りある石炭資源を掘り尽くす前に、将来性のある産業を育てよう、と説いた。渡辺が創業した会社は7社に上り、うち4社が合併して設立した会社が、現在に続く「宇部興産」である。

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