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大阪船場、道修町に残る100年余の歴史を持つ商家。旧小西家住宅を見学してきた

2017年6月7日 11時05分 (2017年6月15日 10時54分 更新)

薬のまち、北浜道修町にある重要文化財「旧小西家住宅」


大阪城に居を構えた豊臣秀吉が、各地から商人を呼び寄せたため、「商人(あきんど)のまち」として栄えた大阪。
特に船場は、東西を東横堀川と西横堀川、南北を長堀川と土佐堀川に囲まれて水運の利がよく、外国船と盛んに貿易をしていた長崎との陸路の要所でもある。そのため珍しい舶来の品や薬などが集まり、商家が軒をつらねていた。

船場でも、特に薬種商人が集まっていたのが北浜道修町界隈だ。
堺から呼び寄せられた、薬屋小西吉右衛門が店を構えたのを発端として、薬のまちとして名を馳せることになる。さらに、徳川吉宗公が旅の途中で病に倒れた際、道修町の薬で快癒したため、薬種を検査して適正に価格をつけ、独占的に取り扱う特権を幕府より与えられると、ますます道修町の名が知られるようになった。

その後、西洋医学が導入され、薬も和薬から洋薬へと変遷していく中でも、道修町は薬種商の中心地であり続け、田辺製薬や武田薬品工業、塩野義製薬などの製薬会社も誕生している。

そんな土地に、明治時代に建造され、谷崎潤一郎の『春琴抄』の舞台モデルとなった旧小西家住宅がある。薬種商から発展した現在のコニシ株式会社は、「ボンド」の会社として全国的に知られている。
現在同社が所有している旧小西家住宅は、太平洋戦争の戦火からも阪神大震災からも免れ、ほぼ当時のままの姿を残しているという。普段は一般には未公開であるが、今回、特別に見学させていただき、取材することができた。

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