羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「私は正義感の強い人間なので」エド・はるみ
『エゴサーチTV』(Abema TV、5月20日)

 芸能人という仕事は、売れないとつらいが、売れた後にジリ貧になっていくのはもっとつらいんじゃないかと思うことがある。

 例えば、2008年に親指を突き立てた「ぐぅ~」のギャグでブレークしたエド・はるみ。最近では、スポーツクラブのRIZAPで18キロのダイエットに成功し、「ぐぅ~」のポーズを取りながら痩せた肢体を披露しているが、全盛期と比べると確実にテレビで見かける回数は減っている。エドはその原因を、ネットに書き込まれた“間違った情報”により、好感度が下がったからと考えているようだ。

 14年に出演した『ナイナイアンサー』(日本テレビ系)で、エドは“風評被害”の1つである「ANAのキャビン・アテンダントとのトラブル」について釈明した。極度の寒がりにもかかわらず、予約してあった席が空調の真下であることに気付いたエドは、キャビン・アテンダントに「ほかの席に替えてもらえないか?」と頼むが、「ありませんけど」と断られてしまう。納得できないエドが違うキャビン・アテンダントに、もう一度座席の交換を頼むと、実際は空席が多く、すぐに違う席を用意してくれたという。エドは最初に声をかけたキャビン・アテンダントに「席、空いてましたよ」と話しかけたところ、「はぁ?」と返されたそうだ。

 それからしばらくして、エドは「エド・はるみ許すまじ」というネットの記事を見つけてしまう。キャビン・アテンダントの座談会方式の記事には、エドが「空調を止めろ」「なんでできないのよ!」と怒鳴る迷惑な客であったと書かれており、この記事をきっかけに身に覚えのないデマが多発、ついにはネットで死亡説まで出たことから、エドは弁護士を通じて、誹謗中傷行為には法的措置で対抗していくことを発表したのだ。

 ちょっと、方向性がズレてるのでは、というのが私の意見である。

 エドは、“好感度が下がると、テレビに出られない”“だから、きちんと真実を釈明しなくては”と思っているようだ。しかし、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「好感度低い芸人」という回があったように、好感度が低いとテレビに出られないということはない(そして、この回の出演者は、キングコング・西野亮廣、品川庄司・品川祐、陣内智則、ピース・綾部佑二、スピードワゴン・井戸田潤、ジャルジャル・福徳秀介など、テレビでおなじみの人気芸人である)。

 視聴者が番組に望むことは「面白いこと」であり、番組制作者が求めているのは「視聴率を稼げるような面白いことができる芸人」である。となると、法に触れなければ、芸人は品行方正である必要はないということだ。上述した芸人たちは、好感度は低いかもしれないが、好感度が低いことから、新たな“面白さ”を生みだす力がある。エドがテレビに出られないのは、「ぐう~」に変わる新しいネタを見つけられない、つまり単に「面白くない」からなのではないだろうか。



 エドの方向性は違うのでは、と思う点が、もう1つ。法的措置の宣言である。有名人だから何を書かれても我慢しろという意味では毛頭ない。悪質なケースの場合、法に基づいて訴えるのは、当然の権利だろう(ネットの書き込みは無法地帯と思われがちだが、最近ではTwitter社が、悪質な書き込みをした人のIPアドレスの開示に応じるようになっているので、“犯人”を特定し、法的措置に出ることは可能である)。

 が、ズレてるなぁと思うのは、それを世間に公表することである。名誉棄損だと判断したら、弁護士を通じて、エドと当事者だけで話し合いを持てばいいのではないだろうか。エドは5月20日に出演した『エゴサーチTV』(Abema TV)において、キャビン・アテンダント事件や死亡説などについて釈明し、その理由を「私は正義感が強い人間なので」と分析していたが、私には“復讐心が強い人”のように見える。例えば、上述したキャビン・アテンダントとの事件で、エドは無事に席を移動した後、「席はありません」と言ったキャビン・アテンダントに「席ありましたよ」と話しかけているが、そこまでする必要はあるのだろうか。“間違いを正す”ための行動だったのかもしれないが、私には“やられたら、やり返す”人に感じられるのだ。

 アメリカ人の女性作家、マーガレット・ミッチェルが書いた『風と共に去りぬ』。出版当時、爆発的な大ヒットを記録し、出版社や読者も続編を期待していたが、ミッチェルは書くことなく、この世を去る。その代わり、彼女がしたことは、裁判と膨大な手紙に返事を書くことだったという。手紙はファンレターばかりではなく、中傷や言いがかりのようなものもあり、ミッチェルは全てに返事を書いていた。ファンサービスだったのかもしれないが、創作から逃げていたとも言える。なぜなら、本当にファンが望んでいたのは、彼女の新作なはずだからである。

 エドも同じことをしているように、私には見える。法的措置はプロに任せて、新しい“何か”を模索する時が来ているのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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