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ご存知ですか? 8月1日は作詞家・阿久悠が亡くなった日です

2017年8月1日 07時00分 (2017年8月2日 06時18分 更新)

 2007(平成19)年8月1日に作詞家の阿久悠が70歳で亡くなってから、きょうで10年が経った。阿久は1937(昭和12)年、兵庫県の淡路島生まれ。本名は深田公之。広告代理店に勤務しながら放送作家の仕事を始めた64年、「阿久悠」のペンネームを名乗るようになる。初めて作詞したのは、テレビ番組用に田辺昭知とザ・スパイダースに提供した「モンキー・ダンス」(65年)。70年代に入ると、尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年)、都はるみ「北の宿から」(75年)、沢田研二「勝手にしやがれ」(77年)、ピンク・レディー「UFO」(77年)など多くの大ヒット曲を生む。『スポーツニッポン』で「甲子園の詩」の連載を開始し、小説『瀬戸内少年野球団』を発表した79年前後より、活動の幅をさらに広げていった。



 2001年、腎臓にがんが見つかり、06年からは人工透析を受けるようになる。人工透析に割かれる日がしだいに増えるなか、阿久は時間を惜しむように創作に励んだ。06年6月8日の日記には「最近、作詞が面白くなっている。渚ようことあさみちゆきで平成歌謡曲成るかもしれない」と書いている。


 阿久は1981年の元日以来、毎日欠かさず日記をつけていた。その内容は身辺雑記や仕事のメモにとどまらず、その日のニュース、本や雑誌から得た情報、箴言にいたるまで多岐におよんだ。彼はこれらを1ページに収まるように、毎日深夜、その日に書いたメモのなかから取捨選択していたという。

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