突然の結婚、妊娠報道の渦中、大団円を迎えた『黒革の手帖』(テレビ朝日系)は、今の武井咲だからこそ演じられるピカレスクドラマの傑作だった。

 松本清張の小説をドラマ化した本作は、銀行員の女性が政治家や財界の権力者の裏金を横領し、その金で銀座の一等地にクラブを構えるという悪女の成り上がり物語だ。



 ヒロインの原口元子は、山本陽子浅野ゆう子といった女優が演じてきた伝統ある役柄で、2004年には武井の先輩に当たるオスカープロモーション倉涼子が演じたことでも知られている。

 本作に出演したことで、米倉は男に媚びない強い女というイメージを確立し、次々とテレ朝の連ドラに出演。やがて『ドクターX ~外科医・大門未知子~』で『相棒』の水谷豊と並ぶ、テレ朝にとってはなくてはならない看板スターとなった。

 そんな『黒革の手帖』の新作を武井が演じるということは、オスカーやテレ朝が武井を米倉に続くスターに育てたいと思ってのことだろう。

 歴代の元子を演じた女優陣と比べると武井は23歳と若く、顔立ちも線の細い美少女という感じだ。そのため、悪女を演じるには物足りないのではないかという下馬評が強かった。


 しかし、第1話が終わった後で評価は一転。絶賛のとなった。

 脚本を担当したのは映画『パッチギ!』や、連続テレビ小説『マッサン』の羽原大介。物語は原作小説を踏襲しているが、元子の設定は現代的なものへと脚色されていた。

 本作の元子は、同じ銀行員でも派遣社員。昼は銀行で働きながら、夜は家の借金をホステスの仕事で返済してきたという境遇で、現代の貧困を体現するような弱者として登場した。


 そんな元子が、コネ入社した女子社員のミスを肩代わりする形で、あっさりと派遣の契約を切られてしまう。理不尽な権力に、これでもかと追い詰められたところで反撃に出て、銀行から1億8,000万円を奪い取るという第1話には、カタルシスがあった。

 普段は地味な格好で質素な暮らしをしている元子が、高価な着物を身にまとって傲慢な男たちを淡々と恫喝する姿は、スーパーヒロインのような格好良さで拍手喝采だった。

 物語はその後、ドロドロの権力闘争となり、やがて元子が失脚した後に銀座のママとして返り咲くという展開になるのだが、武井の結婚&妊娠の騒動があったためか、戦いの果てに弱って憔悴していく元子と、武井の姿は、どこか重なって見えた。
 
 武井を最初に意識したのは、野島伸司脚本のドラマ『GOLD』(フジテレビ系)だった。武井が演じたのは、天才スポーツ一家で幼少期から飛び込みの選手として鍛えられ、オリンピックに出場することを周囲から期待されていた少女だった


 幼くてかわいいというよりは、きれいだが危うさを抱えた大人びた美少女という佇まいで、張り詰めたような空気をまとっていてプールで見せる競泳水着の姿が美しく、周囲の期待と恋愛によって崩れていく思春期の危うさを見事に演じていた。

 月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』(同)でも、三浦春馬が演じる高校教師を振り回す女子高生を好演していた。この時期の武井は、思春期の美少女が持つ危うさを演じさせると右に出る者がいなかった。

 この2作に出演できたことは、若手女優として幸運なスタートだったといえる。ただ、出演作が多く、作品自体に当たり外れが多かったこともあってか、女優としては安く見られていた。

 剛力彩芽もそうだが、オスカーは新人女優を次から次へとドラマに出演させる。
そのためネットでは、ゴリ押しというイメージが先行していた。だが、武井はさまざまな作品に出演することでコメディや時代劇など幅広く演じるようになり、近年は安定感のある演技を見せるようになっていた。

 そんな中、『黒革の手帖』での悪女役は、武井にとっても新境地だった。

 EXILEのTAKAHIROとの結婚&妊娠の報道を知った時は驚いたが、「早めに出産したい」と語っていたので、有言実行という感じなのだろう。

 同時に、今の若い子らしい選択とも思った。芸能界に限らないが、武井のような今の20代は、上の世代が結婚に躊躇しているうちに晩婚化、未婚化している姿を見てきた世代だ。


 だから、自分たちのライフプランに関しては、かなり自覚的なのだろう。そういうクールに自分の人生を見ているような覚めた視線があるからこそ、シリアスな美少女からコミカルなコメディエンヌまで幅広く演じることができたのだ。

 まさに、元子のような計算高さと大胆さを兼ね備えた女優だといえる。
 
 おそらくテレ朝サイドとしては10年くらいのスパンで同じような役を演じてもらい、30歳ぐらいをめどに、米倉のようなテレ朝ドラマを代表するような大人の看板女優となってほしいと考えているのだろう。その期待に、武井は『黒革の手帖』で見事に応えたと思う。
 
 出産後に、彼女がどういう距離感で女優業を続けていくのかわからない。
だが、今回の結婚&妊娠は、女優として間違いなくプラスになるはずだ。
(文=成馬零一)

●なりま・れいいち
1976年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。