0

「LGBT」とは異なった枠組みで多様な性を読む。細部に宿った男色・BLのディティールに身悶える『男色を描く』

2017年10月5日 19時30分 (2017年10月10日 14時44分 更新)

『男色を描く―西鶴のBLコミカライズとアジアの〈性〉』(勉誠出版)

[拡大写真]

 『男色を描く―西鶴のBLコミカライズとアジアの〈性〉』(勉誠出版)は、副題にもある通り、前半には井原西鶴の『男色大鑑』の漫画化に関しての、後半にはタイ・インド・カンボジア・中国の性の多様性に関しての論考が並ぶアンソロジー。この2つのテーマをアジア全体に広がるBL文化という要素がつないでいるので、ひとつながりの読み物として十分に読むことができるし、「抱き合わせ」という感じはしない。

 この書評の読者の多くは日本に住んでいると思うのでその前提で書いてしまうと、前半で「今ではない時代」、後半では「ここではない場所」の性の多様性について語られているので、「LGBT」という言葉に象徴されるような、日本でも一般的となった、性の多様性に関する西洋由来の枠組みにのっとるのではない仕方で性の多様性を考えるよい材料になると思う。

 だからこそ、「面白いので読んでみてください」という話の前に一言だけ言っておきたい。本書の中で多用されている「LGBT」という言葉は、やっぱりなくてもいいんじゃないかなあ、と思うのだ。一つ目の理由は、レズビアンやバイセクシュアル女性のことにはほぼ触れていないから。

 二つ目の理由は、本書の重要なポイントを誤解させる可能性があるから。先ほども触れたけれども、本書の扱う西鶴の作品や東アジアの性といった題材は、現代日本で一般的な性の多様性の理解とは異なる枠組みでまずは理解されるべきものである。

コメントするニャ!
※絵文字使えないニャ!

注目の商品