サッカー・公式野球・ジャンプ。何でも女子が挑戦できる時代になったものだ。女子だから出来ない、そんな先入観を打ち破って、一流のスポーツ選手になるには、相当の努力があったことと思う。素晴らしい時代だ。
何でもできることと何でも手に入れることの違い
でも「何でも出来る」ことと「何でも手に入れる」ことは違う。私の周りでは「何でも手に入れたがる女」の評判が極めてよくない。一時、元宝塚出身で女優になったKさんが、子どもを生んで家事もして、舞台もこなす自分の生活を雑誌で紹介したり、出版物にまとめたりしていた。
完璧に良い妻、完璧に良い母。それでいて女優。マルチな活躍に憧れて、Kさんの著書を参考にしたママも多かったかもしれない。そんなKさんの生き方を、私の友人たちは「ありえない」と言う。
「女優は、舞台に立つ前に役になりきらなければならないから、主婦している時間なんかないでしょう」
「お弁当は作っているかもしれないけれど、別の部分は絶対お手伝いさんやとっているはずだ」
ときどき、疑惑の目でみている。確かに、そんなに色々できることが、果たして「女優」としての魅力につながっているのだろうか。
何でも手に入れたがる女の軽さ
今日の女子サッカー界の隆盛をもたらした澤穂希選手が、なぜこれほどまでに女性の心をとらえたか。
まだ女子サッカーがメジャーでない時代から、サッカーひと筋に人生をかけて取り組んできた。海外の厳しい環境の中にあえて身を置いて、自分を鍛えてきた。そしてなによりも、最愛の恋人と別れてまでサッカーを取ったという彼女の生き方が、女性の胸を打ったのだ。
誰もなしとげたことのない、最高の栄誉を手にするには、失うものもある。彼女がサッカーと恋人の両方を追い求めていたら、ワールドカップ優勝はなかったかもしれない。そのいきさつを知って、わたしたちも、澤選手の手にした栄光に賞賛を惜しまないのだ。
何でも手にいれようとする女の業績は、私たちの心を動かさない。むしろ、自分の業績をひけらかしているようで鬱陶しい。
「私は、これも、あれも出来るのよ」「子どもも生んだし、女優もこなしているのよ」
それは立派だが、メディアで語り、本にまとめて世に広めるようなものでもないだろう。…


