今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。
■『ファミコン』が日本を駄目にした論について
私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人たちは以下のようなことをよく言っていた。
「任天堂は、『ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)』で日本の将来を駄目にするだろう」
もちろん私は『ファミコン』が大好きな小学生だったので、こうした大人たちの言葉が面白くなかったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この“『ファミコン』が日本の将来を駄目にする”論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば“ゲーム脳の恐怖”といった具合に。
あれから二十年以上の時が流れた。
セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした *1 。任天堂のライバル会社たちも様々なゲームをリリースし、最近はソーシャルゲームも流行っている。現場の昼休み、作業員がスマートフォンやケータイでゲームを弄っているぐらいには“プライベートな場所でゲームを楽しむ”という文化習俗は定着した。もはや、ゲームは子どもとオタクだけのものではない。
で、日本は駄目になったんでしょうかね?
年配の人たちから見れば、“ゲームのせいで駄目になった”ように見えるかもしれない。“飲みニケーション”や“付き合い”より小さなディスプレイでピコピコ遊ぶほうを優先させる“いまどきの若者”の姿は、年配の人たちから見れば駄目っぽく見えるかもしれない。「いい歳してゲームなんかやっているから結婚できないんだ」「ゲームなんかやってないで車を買ってドライブしろ」という台詞も聞こえてきそうである。このような人たちから見れば、任天堂をはじめとするコンピュータゲーム会社は、“日本の若者を駄目にした戦犯”という風にうつるだろう。
●『ファミコン』なら一人でも遊べる
ところで、どうして『ファミコン』は売れたのだろうか。“面白かったから”は言うまでもない。だが、『ファミコン』だけが面白い遊びだったわけではない。当時、よくできたボードゲームもたくさんでていたし、集団での外遊びにはコンピュータゲームには代替できない面白さがあった。ほかにも草野球の類とか、色々やっていたと思う。
けれども、その『ファミコン』は他の多くの遊びにはない、特別なメリットを隠しもっていた。…


