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2016年2月29日

絶命した朝鮮人労働者たちの声なき声 ― 異様な冷気に満ちた「吉見百穴」、もうひとつの顔

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 ヒカリゴケの自生とコロポックル説という、北海道との縁を持つ吉見百穴(埼玉県)。しかしこの地には、もうひとつ別の顔が存在している。それは、今なお残る太平洋戦争時の忌まわしき爪痕、すなわち戦史遺構としての側面だ。

 実は集合墳墓跡と思しき横穴群とは別に、この一帯には、大規模な掘削痕が存在する。これらのトンネルは、かつてこの地に計画されようとしていた巨大な軍需工場の痕跡だ。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/02/post_9004.html】

■ただひたすら暗い闇が広がる軍需工場跡

 当時の史料を確認するとわかることだが、今を遡ること約80年前の太平洋戦争時、この地には、隼などの戦闘機を作り出した日本有数の航空機メーカー・中島飛行機が、岩山の最下部に直径3メートルほどのトンネル網の掘削に着手。軍需工場の建設を行おうとした記録が残されているという。

 現在、文化財として保存されている工場跡のトンネル内へと足を踏み入れると、その内部は、満足な建機もない状態で素彫りされた痕跡が、今なお、その内壁に刻まれていることが確認できる。その奥にはただひたすらに薄暗い闇の空間が広がっており、所々に設置された照明によって、ゆるやかに足元が照らされているという状態だ。

■朝鮮人労働者による過酷な労働の爪痕

 手許の史料によると、この地下工場の建設が始まった当時、およそ3,500人もの朝鮮人労働者が投入され、それこそ不眠不休の掘削作業が進められたそうだ。

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