こんな少年漫画なノリで、ホントに開店したゲームセンターがありました。福岡市にある「モンキーハウス」です。
2階建てのビルで、別のゲーセンが撤退した跡地を活用しており、居抜きの店内には鉄骨がむき出し。フロアには約30台のビデオ筐体と音楽ゲームの大型筐体が並び、壁際にはメンテナンス用の部品が棚にぎっしり。ゲーセン跡地にもかかわらず、新たに防音工事を行い、近隣にも配慮。窓ガラスは黒い紙で覆われ、余計な光が入らないように配慮されています。ちょっと、よれよれですけどね。
普通ゲームセンターといえば、最新ゲームがずらりと並んでいるモノですが、この店は違う! 99年にリリースされた格闘ゲームの「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」をはじめ、本当におもしろい、今もゲーマーに熱く支持されているタイトルが、厳選して配置されています。
オーナー兼店長が、スコアネームTHさんこと、浜上太郎さん(34歳)。あ、スコアネームってのは、全国でハイスコアを競うときのハンドルネームみたいなモンですね。愛媛県出身で九州大学に進学、モンキーハウスでアルバイトを始めたのがきっかけで、どっぷりとゲーマーコミュニティの世界に浸っていきました。
当時モンキーハウスは系列店が福岡市内に数店舗ありましたが、中でも本店はアルバイトが店を半ば牛耳って、経営や仕入れにまで口を出していた、梁山泊状態だったとか。
そんな浜上さんも卒業後、上京してプログラマーとして働いていましたが、アーケードゲーム業界の長期低迷に加えて、折からの経済危機でモンキーハウス閉店の噂が聞こえてきました。手元に株で儲けた500万円があった浜上さんは、福岡に戻って開店資金に丸々つっこみ、新店舗を構えることを決意します。筐体を買い取り、物件の敷金・礼金を払い、防音工事も実施。
しかも、当初はサラリーマン生活を行いながら、稼いだお金でゲーセン運営を補填。今年に入ると会社を退職して、経営に専念し始めました。自分たちが愛したゲーセン文化を守りたい。マニアが安心して楽しめる場所を作りたい。いやー、「熱いぜ熱いぜぇー熱くて死ぬぜぇーっ」て感じです。
もっとも予算が潤沢にあるわけではなく、内装などは最低限。一方で、ほとんどのゲームが50円でプレイでき、対戦台に至っては50円で2プレイという破格の料金設定です。
またインタビュー中に、常連さんからオーダーを受けた浜上さん。筐体を開けると、お客さんが持ち込んだ基板と中身を交換してしまいました。すると当たり前のように、お客さんは50円を投入してプレイ開始! いや、それ家で遊んだら無料ですから!
それでも来店してプレイするのは、店の雰囲気が良くて、常連と一緒に遊びたいってことなんでしょうね。他店では客が100円を入れて、そのまま立ち去る「お布施」と呼ばれる現象も見られるそうです。
それにしても、なぜゲーセン・コミュニティはここまで熱いのか。元ナムコで「鉄拳」シリーズなどの開発に携わり、現在はソル・エンタテインメント代表でソーシャルゲーム開発などを手がける神江豊さんに、理由を聞いてみました。神江さんは子どもの頃からゲーセンに入り浸り、GMC(ゲームメイトクラブ)というサークルを結成。最盛期には全国で約120名の会員を誇り、本店にアルバイトも送り込んでいた中心人物の一人です。
神江さん曰く、アーケードゲームは客がコインをつぎ込むリピート性が重要で、それを支えていたのがハイスコアを競う「スコアラー文化」でした。ハイスコアはゲーム雑誌に送られ、店舗名やスコアネームと共に掲載、全国に知れ渡ります。
新生モンキーハウスでも、このコミュニティは健在です。店が常連で盛り上がるのは土曜日の夕方から夜にかけてで、中には大分県や佐賀県から来店するお客さんもいるとか。男性ばかりかと思いきや、時には女子高生が来店して、音楽ゲームの「ポップンミュージック」で神プレイを披露し、涼しい顔で去っていくことも。うーん、深いですね。
ところが、原稿を書いている間に、悲しい知らせが届きました。この奇跡のように生き残っていたモンキーハウスも、時代の流れには勝てず、来年1月16日をもって閉店することが決定したそうです。将星、大地に落つ……。残された時間はあと1ヶ月。その間に、できるだけ多くのゲーマーに訪れてもらいたいですね。
ちなみに、ゲームセンターというインフラがあって、定期的に国内の新作がリリースされているのは、世界でも日本だけなんです。家庭用ゲーム機の性能向上とオンライン対応に伴い、欧米ではほとんど駆逐されてしまいました。そして、その波はいよいよ日本にも押し寄せています。
願わくば、全国の「モンキーハウス」のような店舗の存続と、ゲーセン文化の火が消えないことを。文字通り「俺の屍を超えてゆけ」です。(小野憲史)