「東京ゲームショウ2011」に行ってきた。もうね、どのゲームもCGのクオリティが高過ぎて、ライフゲージがなかったらそれがゲームだとわかんないような画面のものがいっぱいあって、ちょっと目眩がした。
あと、GREEのブースには白いホットパンツを履いたコンパニオンのお姉さんがひしめいていて、ちがう意味でも目眩がした。

話題作、注目作はたくさんあったけれど、そういうのは普通の情報誌におまかせするとして、エキレビでは、少々目立ちにくい一角に展示されていた1本のゲームに焦点を当ててみたい。それは、携帯電話用アプリ・チョイスゴコンピュータシリーズのアドベンチャーゲーム「横浜妖精奇譚」だ。作者はゲイムマン
おや、ご存じないですか? ゲイムマンとは、ゲーム業界の平和と秩序を守るため(そしてあわよくば女の子にモテるため)、自腹で日本全国を駆け回る、孤高の覆面ヒーローなのだ!

そんなゲイムマンが、ゲーム紹介や評論をするだけでは飽き足らず、とうとう自らの手でゲームを作った。「横浜妖精奇譚」と題するその作品、どんなゲームかは画面写真を見ていただくとわかるだろう。
レトロ風味と呼ぶにはあまりにもボキボキなドット絵が自己主張する、ファミコンもろ出しのテキストアドベンチャーだったのだ。いったい、いまは何年なんだよ!
「昭和61年だ」
わっ、ゲイムマン! というわけで、ここからは作者本人に話を聞いてみた。

──なんで、こういうゲームを作ろうと思ったんですか?
ゲイムマン 前々からレトロなゲームを作りたいと企画を温めていたところ、発売元のワンナップゲームズさんが、こういった8ビットっぽいゲームを中心にリリースされているのを見て、企画を持ち込んだのです。
──企画はすぐに通りましたか?
ゲイムマン そうですね。ワンナップゲームズさんのラインナップにはちょうどアドベンチャーゲームがなかったので、わりとすぐに企画は通りました。結果的には、荒井清和先生の「肥後連環殺人 迷宮のブロードウェイ」とテイストがカブってしまいましたが(笑)。

──あれもファミコン時代のアドベンチャーゲームの名作「オホーツクに消ゆ」の雰囲気を継承していますね。わたしが今回ゲイムマンさんの作品に注目したのは、美麗なCGのゲームが市場の大半を埋め尽くしているいまだからこそ、その反動でこういうチープなグラフィックのゲームをまた遊びたいという層が増えているのではないか、と思ったからなのです。
ゲイムマン その通り。こうしたゲームを必要としている人たちは確実にいるでしょう。そして、そういう人たちに希望を与えるのが、ゲイムマンの使命なのです。
──それにしてはグラフィックがチープすぎる気もしますが。

ゲイムマン わたしが全部描いたんだっ!
──えっ!
ゲイムマン このチープさは狙いなのです。
──先ほど、昭和61年とおっしゃいましたね。
ゲイムマン そう、西暦で言うと1986年。「ポートピア連続殺人事件」(1985年/エニックス)とか、「ミシシッピー殺人事件」(1986年/ジャレコ)とか、そういった作品の“いかにもドット絵”というグラフィックは1986年までで、その年の年末に出た「デッドゾーン」(1986年/サンソフト)はドットが緻密で、もうチープとは呼べなくなってしまっている。
──ああ、あのあたりからグラフィックに輪郭線がつくようになったんですよね。
ゲイムマン 同じく1986年にはファミコン・ディスクシステムが発売され、これによってゲームの容量が増えたのも、グラフィックの向上に影響している。
このように、1986年から1987年にかけて、ゲームのグラフィックは明らかに一段階レベルが上がったのです。
──それで、あえて「横浜妖精奇譚」ではゲームの舞台(とグラフィック表現のレベル)を昭和61年という設定にしたわけですね。
ゲイムマン そう! 断じてわたしがああいう絵しか描けないからではない!

つい先頃、開発中の「ドラゴンクエストX」』がオンライン対応であると知らされたとき、虚構新聞が「ドラクエ10オンライン、ファミコン版も開発中」と嘘ニュースをぶちあげたら、「そっちの方が欲しぇー!!」という声が(おもに年配のゲームファンの間からあがっていた)。わたしもそっちの方が欲しいクチだ。だから、ゲイムマンの狙いはマーケティング的に(狭いけど)間違ってはいないと思う。

──「横浜妖精奇譚」は、カックンカックンした背景で表現された横浜を、主人公がたくさんの女の子にモテたりモテなかったりしながら冒険していくという、たいへん夢のあるゲームですね。
シナリオ執筆もふくめて、開発期間はどれくらいだったのでしょうか?
ゲイムマン その前に、このシナリオを思いついたきっかけをお話ししよう。そもそもは、去年の6月にわたしが女の子にフラれましてね。
──ちょっと、いきなり何をおっしゃるんですか。
ゲイムマン (聞いてない)その失恋による負のエネルギーを妄想パワーに変えて、これまでわたしが片想いしてきた女の子たちを、みんなゲームの中に登場させたのです。
──また厄介なエネルギーでシナリオを書きましたね。
ゲイムマン もちろん、みんな名前は変えてあります。

──そりゃそうでしょうけど。で、開発期間はどれぐらいだったんですか?
ゲイムマン 昨年の10月からロケハンを開始して、ストーリー作りをしながらグラフィックも並行して描いていき、スクリプトも自分で組んで8ヶ月ほどかかりました。本当はもう少し早く完成させたかったんですが、震災の影響などもあって、すべての作業が終わったのは6月でしたね。
──スクリプトまで! ゲイムマンって多才ですねえ。
ゲイムマン まあ、アドベンチャーゲームと言っても、ゲームブックに近い構造のゲームなので、そんなにむずかしいスクリプトではないんですよ。

ゲームデザイナー歴24年のわたしですらスクリプトを学ぶのは挫折したというのに、自分の作りたいゲームを作るために企画を起こし、ロケハンをし、シナリオを書き、グラフィックも描き、スクリプトを独学で習得して、見事完成までこぎつけてしまうゲイムマンは、まったくもって尊敬するしかない。思えば、ゲームの黎明期。まだ分業のシステムなんかないあの時代のゲーム制作者は、みんなそうやっていたんだよな。

──あのー、すごく些細な話なんですけど、セリフの中に「フードつきトレーナー」って言葉があって、なんか回りくどい言い方してるなあって。
ゲイムマン パーカーと書けって言いたいのですね? でも、このゲームでは容量削減のために、片仮名の「パピプペポ」の文字フォントがないんですよ。
──ホント? なんか「ドラクエ」開発時の伝説っぽいですね! でも、ファミコン時代はそういうこともあっただろうけど、携帯電話用アプリなら文字フォントぐらい全部使えるんじゃないですか?
ゲイムマン 実はそう。だけど、あの頃のゲームデザイナーたちが容量削減のために苦労していた感じを再現したくて、本当は容量が足りないなんてことないんだけど、あえて「パピプペポ」だけ削ったという設定にしてあるのです。
──すごいなあ、伝わりにくい努力だなあ。
ゲイムマン そのため、パーカーは「フードつきトレーナー」だし、レポーターは「とくはいん(特派員)」という言葉に置き換えたりした。
──すごいこだわりが(笑)。あれ? メーカー名のクレジットはちゃんと「ワンナッ“プ”ゲームズ」って表示されてますよ? ブの字、あるじゃないですか。
ゲイムマン いいところに気がついたね。ゲイムマンのゲームを世に送り出してくれたメーカーさんの名前を正確に表示できないのはさすがに心苦しいから。
(ここでワンナップゲームズさんの関社長が登場)
 うちは「プ」なんて使えなくてもいいって言ったんですよ。
──ワンナッ“フ”ゲームズでもいいと?
 そう。だけど、ゲイムマンさんが「それはいけない!」って言ってくれて、プの字だけは使えるようにしたんです。
──いい話だなあ……。あっ、エンドクレジットで「ス“ペ”シャルサンクス」って書いてある。ペの字も使ってるじゃないですか!
ゲイムマン それは平仮名の「ぺ」だ!
──わーっ!

ゲイムマンに話を聞いてみると、実際には、MSX(1983年に登場)のゲームのイメージでグラフィックを描いたらしい。そう言われてみれば、なるほどこの乱暴なまでのドット絵感はファミコンというよりも、MSXっぽいような気がする。なんとも不思議な目のつけどころをする人だ、ゲイムマンは。
(とみさわ昭仁)