「失敗と付き合うことは「あきらめる」ことではありません。すぐに忘れてしまう、あるいは達観することでもありません。
悔しさは「過去」ではなく「未来」へぶつけるのです」
(松井秀喜『不動心』より)

年末の引退報道後、松井の著作をいくつか読み直していたら、この言葉に出会った。
「悔しさを」「未来へ」「ぶつける」……険しい道のりであっても常に歩を前に出し続けた松井らしい一節だ。
上記の例に漏れず、何かを成し遂げる人物の言葉は常に前向きで能動的。目標設定をすることで終わらず、その目標に向かってどう動くかにまで言及していることが多い。

こんなことを改めて考えたのは、この「ぶつける」をキーワードとして書かれた本に時を同じくして出会ったから。
『7つの動詞で自分を動かす~言い訳しない人生の思考法~』

本書では「ぶつける」「分ける」「開ける」「転ぶ」「結ぶ」「離す」「笑う」 という7つの動詞の活用例を元に、人生を心地よくストレスフリーに生きるために、〈名詞で受動的に考える〉から〈動詞で能動的に考える〉 習慣付けを訴えていく。

著者は石黒謙吾。著述家・編集者としてこれまでに200冊近い書籍の執筆・編集・プロデュースに携わってきた著者が、出版不況と叫ばれて久しい現状においてどのようにして企画を実現させてきたかを具体例とともに記していく。
その中には映画化もされた『盲導犬クイールの一生』など、多くの方が目にした作品も含まれている。だがこの作品にしても、10の出版社に企画を断られ続け、ようやく通った11社目も担当者の人事異動で白紙に戻り、12社目でもまたまた人事異動の憂き目に遭う……という長い道のりを経てようやく世に生まれ出た作品だったという。

なぜ諦めず、チャレンジし続けることができたのか。

重要になってくるのが7つの動詞のひとつ「ぶつける」という動詞の持つ力だ。

ここでの「ぶつける」とは、文字通り、目の前の課題に対して正面からぶち当たっていくことでその困難の壁を少しずつはがしていくこと。
言い換えれば、「とにかく動いてみること」でもある。
《「やる」か「やらない」と考えずにやり過ごしているのは逃避です。やるかやらないか、今迷っているなと自覚したならやる》 という著者の言葉は、冒頭の松井秀喜の言葉ともリンクする、非常に愚直で、それでいて前向きな意思表明だ。

翻って自分の場合で考えてみても、文章が書けなかったりアイデアがまとまらない時、パソコンの前で腕組みをしてウンウン唸ってみたところで何も前に進まない。
気分転換に散歩でもすればアイデアが降りてくる……なんてことも決してない。それよりも、とにかくまず一行、一節を文字にしてみることで物事が進む場合のほうが多い。これだってひとつの「ぶつける」行為なんじゃないだろうか。

「ぶつける」以外の6つの動詞……「分ける」「開ける」「転ぶ」「結ぶ」「離す」「笑う」の活用方法に関しては本書を読んで実感していただきたいのだが、いずれにせよそれらの動詞はあくまで「入口」でしかない。
著者は、7つの動詞をそれぞれ、車が動くために必要な動力に当てはめている。
「ぶつける」とは車のエンジン。

「分ける」はギア。
「開ける」はアクセル。
「転ぶ」はタイヤ。
「結ぶ」がハンドル。
「離す」がエンジンブレーキ。
「笑う」がヘッドライト
これらと同じ効果を発揮できるならば、動詞は上記7語に限定する必要はないという。

重要なのは、名詞よりも動詞を意識すること。さらには同じ動詞でも能動的に動くために取り込める言葉は何かと自ら探ること。周囲に依存しない、能動的な姿勢そのものなのだ。

著者は、この本を手にする読者に対しても、ただ字を追うだけの受け身な読書姿勢ではなく、「自分ならどんな動詞が当てはまるのか」「自分の生き方や仕事に転化すればどうなるのか」という能動的な読み方を求めている。得てしてこういった「思考法」の本は、読んだだけで満足して気がつくと忘れてしまうことが多い。でも、読むだけでは完結しない、読者自らカスタマイズすることが求められる本ならば、そんな問題も杞憂と言えるだろう。


余談だが、著者は松井秀喜と同じ星稜高校出身。野球部OBではないが大の野球好きということで、本書の中には何度も野球を例にしたエピソードも登場する。
そして、星稜高校出身といえばもう一人、能動的な行動で周囲を引っ張る男がいる。
昨日の代表戦でも見事にゴールを決めた本田圭佑。彼は以前、こんな言葉を残している。

「壁があったら殴って壊す。道が無ければこの手で作る」

「ぶつける」を通り越した強烈なまでの突破力と確固たる意志の力……能動的な思考法は、星稜高校の伝統なんじゃないだろうか。
(オグマナオト)