漫画家の喜国雅彦さんには今までに3度びっくりさせられた。
1度目はもう何年も前で、氏が古い日本の探偵小説の蒐集家だと知ったとき。
「え、『傷だらけの天使たち』の人が?」と思ったものだ。今ではもう有名で、その方面のことを書いた『本棚探偵の冒険』などの著作もある。2度目は氏が走ることにはまっていて、フルマラソンにも挑戦の意図があると聞いたときである。これももう有名か。『東京マラソンを走りたい』という本にもなった(あ、大島渚のことを書き忘れた。各自調査!)

3度目が今回で、書店に行ったら喜国さんの本が出ていたのである。
題名は『シンヂ、僕はどこに行ったらええんや』。まずはトップ画像の書影を見てもらいたい。このトイプードルを抱いている男が喜国さん……ではない。これが題名に名前が出ている「シンヂ」なのである。彼は日本と台湾に拠点を持つ土建会社の経営者で、喜国さんの友人だという。
昨年の3月11日、後に東日本大震災と名づけられる大災害が起きたとき、シンヂとその仲間は即座に行動を起こした。
現地の状況がまったくわからない中、トラックに積めるだけの物資を積み、一路被災地を目指したのである。たまたまtwitterを始めたばかりだった喜国雅彦(ここからは敬称を略して書く)は、彼らからのツイートによって現地の状況を知った。仲間の言葉ならば信じられる、と考えたからだ。そして、こう考えるようになる。

ーーそして思った。僕の仲間は助けを必要としている。
被災地のために何かができる、なんて大それたことは思わなかったが、少なくとも彼らの手伝いはできる。見知らぬ誰かのために働くことは難しくても、仲間のためなら働ける。(後略)

『シンヂ、僕はどこに行ったらええんや』は、そうした気持ちに押され、生まれて初めてボランティア活動に挑戦してしまった漫画家の、ごく個人的な体験記である。
作業に必要だからと鉄の中敷き入りの長靴を買い(釘の踏み抜き事故が多発していた)、漫画家にとっては商売道具ともいえる眼を守るためにゴーグルは特に良いやつを買う。そんなところから始めるのだ。
ゴールデンウィークのさなかの2011年5月6日、喜国はパートナーの国樹由香とともに初めて被災地に入った。
仲間のシンヂたちは宮城県東松島市で活動を始めていた。そこに合流し、最初の作業に就く。任されたのは、津波で1階部分が水没した自動車修理工場の洗浄作業である。行き場がなくなったどろどろの水が作業場に溜まっている。それを外に掻き出すのである。

ーー……のだが、水が出て行ってくれない。

当たり前だが、この部屋は水に浸かることを想定して設計されてはいないのだ。排水孔なんてものはない。そしてわずかだが、外に向って逆スロープにもなっている。
水を押す。
押しても水は戻ってくる。
それでも押し続ければ水は出る。
(中略)
魔の反復地獄だ。
プールだったら三十分も終わる作業だろう。なのにそれが、三時間かかっても少しも終わらないのだ。

「希望を胸に家を出、友に会って力をもらい、意気揚々と」作業を始めたのに、現実がのしかかってくると、あっけなく心が折れそうになる。ボランティアに参加した者の誰もが味わったであろう無力感を、やはり喜国も体験していた。
そうした、ゼロのように小さな成果を積み重ねていくことが、つまり復興ボランティアに加わるという行為なのであった。別の場所で同じような洗浄作業(汚泥で詰まった側溝の清掃)に加わった際、その家の前だけを綺麗にしても水の行き場はないのだから結局は無意味なのではないか、と訝る喜国にこういう人があった。

「突き詰めればそうです(中略)泥に埋もれたままの側溝だと、少しの雨でもまた玄関に、せっかく片付けをした玄関にまた水が上ってきます。でもたったのこれだけでも穴があれば、少しは持ちこたえられます」

「たったのこれだけでも穴があれば」。
無力感のために落ち込んだり、冷笑的になったりすることは簡単だが、その小さな積み重ねがやがては何か大きな成果に結びつく。そうした思いを形にしていった人が、被災地のあちこちにいたのだということを忘れてはいけない。その何万の一かの記録が、本書には残されているのである。
石井光太『遺体』など、もっと苛酷な現実、悲惨な光景を伝えるノンフィクションは他にもある。ここに記されているのはあくまで喜国雅彦という個人の体験にすぎないのである。だが、その何万分の一かのボランティア記録にすぎないものから見えてくるものに背中を押される人もいるはずだ。そういう人のもとに本書が届くことを、私は祈る。

ボランティアに参加したひとびとが体験した暖かさ、同じ目的で集った者たちだからこそ共有できたものについても本書には書き記されている。そして同時に、喜国雅彦がギャグ漫画家だからこそありえた、ちょっとかっこわるいエピソードも紹介されているのである。
被災地のある家族と親しくなった喜国は、その家の娘さんが漫画家志望であったことから、アドバイスをしてくれるように頼まれる。そしてついに、あの質問をされてしまうのである。

「あなたは、どんな作品を描いているの?」

どんな作品を描いているのかは、喜国雅彦のファンならご存じだろう。さあ、どう答えるべきなのか。「女性の脚とかにこだわった、ちょっと特殊な漫画も描いています」と正直に言ったほうがいいのか。いや、漫画について予備知識のない人にそれはどうなんだ。
緊迫の場面の結末は、本書の187ページ以降に描かれています。

私事になるが、去る8月24〜25日、筆者は宮城県石巻市を訪れてきた。喜国雅彦がボランティア活動をした東松島市はすぐ隣である。石巻市を流れる旧北上川の河口に冷凍食品などでおなじみのマルハニチロ食品の石巻工場がある。そのご好意で、復興1年目の石巻を自分の目で見る機会をいただいたのだ。石巻工場は津波によって建屋の多くを失った(8人の従業員と、多くの家族も犠牲になった)。現在は震災前の何割かの稼動状況で、それでも操業し続けている。そこで働いている人がいるからだ。一時は工場を畳むという話も出たそうだが、職員のために踏みとどまった。被災地のひとびとが自分の手で収入を得て、震災前の暮らしを取り戻すことができない限り、復興などありえないのである。

石巻市では他に宮城県が複数の自治体から委託を受けて運営している、災害廃棄物処理施設などを見学した。津波による漂流物や倒壊した建築物から大量の瓦礫が出る。それを石巻市の漁港だった場所に集め、分別・焼却の処理をしているのだ。積み上げられた瓦礫の高さは10メートル以上になる。もともとはもっと高かったのだが、ガスが発生して自然発火したことがあり(畳が特に危ない)、現在の高さに落ち着いたのだという。津波にやられた場所を避けて仮説テントで稼動中の魚市場からも、マルハニチロの工場からも、海沿いのすべての場所からこの瓦礫の山は見える。2年後をめどに処理は終了する予定だというが、それまでに町の復興はどの程度進んでいるのだろうか。

もう一箇所訪ねたのが、東日本大震災圏域創生NPOセンターである。ここは仮説住宅に住んでいる小中学生の居場所作りをしているところで、私営の学童保育クラブのような機能を果たしている。子供を預けないと働けない親にとって、心強い味方である。このNPOの活動資金は施設内にあるショップの売上げや、寄付金によって賄われている。行政からの補助金では、家賃を賄うことも難しいのである。こうした団体が存在することも、ずっと忘れないようにしていきたい。

本題と大きくそれてしまった。お許し願いたい。
喜国のブログ「犬ふんランニング日記」によれば、『シンヂ、僕はどこに行ったらいいんや』の表紙にシンヂ本人の写真を使う件について、喜国雅彦は事前了解をとらなかったのだという。理由は「発売日に書店でシンヂを驚かせるため」。だが、そこには大きな陥穽があった(同ブログ8月1日の記事より)。

ーーそして今になってありうべき可能性に思い当たった。
シンヂに「肖像権の侵害や」と訴えられること。
もし、そうなったら……
本は回収である。

いや、それは最初に考えなきゃいけないことでしょう!
何はともあれ、無事に本は出て、回収にもならなかったわけである。よかったよかった。

なお、本の刊行を記念して、9月4日(火)19時より都内「BIRIBIRI酒場」にて喜国雅彦トーライブが開催される(詳細はこちら)。お時間の許す方は、ぜひご来場ください。会場では本の販売もしますし、上で紹介したNPO支援のためのグッズ販売も行います。もちろん著者のサイン会もありです。
(杉江松恋)