suicaをかざすとピピッと光るアンテナ面。あの「面の角度」は13.5度で傾いているのをご存知でしょうか。

今日、誰もが当たり前に使いこなし1秒で改札を抜けられる便利なsuica。でも実は、開発段階では100人中半数近くがまともに使いこなせなかったそうです。そんな中、ひとりのプロダクトデザイナーが開発チームに参画し、様々な検証から「13.5度」という神秘の角度を導きだすことで読み取りエラーは100人中一人にまで激減し、実用化に至りました。
そのプロダクトデザイナーの名は山中俊治。そんな一流のプロダクトデザイナーが「義足」をデザインするとどうなるのか?? 本書『カーボン・アスリート~美しい義足に描く夢~』は、プロダクトデザイナー山中俊治氏が「スポーツ用義足」のデザインに取り組んだこの3年間の奮闘記です。

ロンドンで開催中のパラリンピック。
オリンピックに比べるとやはり注目度は下がりますが、ニュース映像やNHKでの中継でご覧の方も多いことと思います。鍛え抜かれたアスリートが競技の中で描く肉体美も美しいですが、ハンディキャップを背負いながらも奮闘する姿、車椅子同士のぶつかり合いや義足選手の不思議な躍動感も見る者を釘付けにする力を持っています。山中氏もまた、そんな義足の美しさに見せられた一人。北京パラリンピックで3個の金メダルを獲得し、ロンドンでは遂にオリンピック本戦の陸上競技に出場を果たした「ブレードランナー」ことオスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)の走る姿を映像で見たとき、山中氏は「究極の機能美を見た」として次のように語ります。

“プロダクトデザイナーとしてさまざまな生活用品をデザインしてきた私は、つねに人と製品のかかわりについて考えてきた。ゴール直前の劇的なスピードを得たオスカーの肉体と義足の関係に、私は、人と人工物のかかわりの理想を見たように感じたのだ(中略)これこそ、人がつくりしものの究極の機能美なのではないか。
私はそう感じてその映像に見入ってしまった”


商業デザインだけでなく、慶応義塾大学で教授も務める山中氏は、この時の感動から「スポーツ用義足」の研究に取り組み始めます。
走行用義足は、足の切断面を覆う「ソケット」、地面を蹴る役割を果たすカーボン製の「板バネ」、膝上切断者が使用する場合は膝の役割の代わりとなる「膝継手(ひざつぎて)」の3つの部品で構成されているのですが、研究対象としてアスリートのそばに立って実際の義足を眼下におくと、全体としてのフォルムには映像で見たのと同じ躍動感を感じるものの、その細部はむしろネジや接続面がむき出しになり、美しいと思える要素がとても少ないことに山中氏は気づきます。「神は細部に宿る」とは有名な格言ですが、この部分にこそデザインの必要性を見い出すのです。

しかし、義足に「デザイン」を取り入れようという山中氏の構想に対し、実際に義足の製作に携わるメーカーや義肢装具士(義足などの義肢装具の採型・採寸、ならびに適合・調整を行う国家資格を持った医療専門職)の多くからは否定的な反応を示されます。日本で約6万人存在するという下肢切断者の中で、義足を使って日常生活を営む人は数千人、実際に走ることを楽しむ人は100人にも満たない現状。大量生産ができない義足において、デザインという「贅沢」は無用の長物であり、これらの反応もある意味当然のことでしょう。

それでも尚、純粋にデザインのチカラを信じる山中氏は、「デザインされた義足」が導く先進的な未来を想像できない周囲を納得させるため、「まずつくってしまおう」と、周囲の冷ややかな反応に怯むどころかいきなりコンセプトモデルの開発に着手します。「人々は、ほんとうに自分たちが欲しいものを知らない」というスティーブ・ジョブズの有名な言葉を引用しながら、“まだだれもほんとうに「かっこいい義足」「美しい義足」に接したことがない。それが登場しさえすれば、何かが変化する”と語る山中氏。周囲を納得させ、動かすために必要なことは自分たちの本気度を伝えることだ、というその信念には、多くの人が励まされ、学ぶ部分があるでしょう。

もちろん、プロジェクトは順風満帆に進んだわけではありません。大学という組織の中で「講義の研究テーマ」として扱う以上、そこには学生の卒業によってプロジェクトメンバーが毎年入れ替わる、という課題もはらみます。
それでも、山中氏と学生の熱意に打たれたメーカー、義肢装具士、「スポーツバイオメカニクス」を研究する同じ慶応大学の教授などさまざまな専門家がひとりずつ集い、厚生労働省を巻き込みながらプロジェクトが着実に前に進んで行く過程は、本書の一番の見どころです。
切断者が走れるようになるためには筋力だけでなく、モチベーション、スキル、道具など、様々な要素が必要とされます。同様にこの義足プロジェクトも、様々な「プロフェッショナル」が集うことで具現化していくのが非常に興味深くもあります。特に、義足テストで試走を担当していた高校生アスリート・高桑早生選手が、共に義足の未来を見たい!と慶応大学に入学してプロジェクトチームの中枢に入っていく過程は運命的でドラマチックですらあります。

山中氏はプロダクトデザイナーになる以前、学生時代は漫画家にあこがれ、水島新司氏の野球マンガの模写ばかりをしていたと本書の中で語ります。このことによって、人体の躍動感を描写する魅力に目覚め、スポーツ漫画を描く上で重要なのは「骨格を意識すること」であると無自覚に学んだといいます。
また、デザイナーになった後、井上雄彦氏の『スラムダンク』を読んで、「ボールという象徴的な人工物に向かう人体の躍動感の描写」の完成型を見ます。この、漫画で学んだ「骨格」と「躍動感」の描写が今回のプロジェクトでも多いに役立つことになるのも、また興味深いエピソードです。なぜなら、井上雄彦氏もまた、少年時代に水島マンガを模写し続けていたことを常々公言しているから。ここにもまた、運命のような結びつきを意識せざるを得ません。
“義足はまさに人工の骨格である。その外側に筋肉が存在しないからこそ、完璧な骨格にならなくてはならない”と力説する山中氏の言葉通り、本書の中でたびたび登場する山中氏のスケッチには骨格を意識できるからこその躍動感があり、それらを眺めながら実際の義足が完成して行く過程を知ることができるのも、本書の魅力のひとつであるでしょう。


このようにして完成したスポーツ義足を履いて、上述した高桑早生選手が今月2日、パラリンピック100M決勝に出場を果たします。結果、8人中7位という成績に終わりますが、パラリンピック初出場での決勝進出はやはり快挙です。それでも高桑選手は「世界の先頭は遠かった。決勝進出が目標だったが悔しさも残ったので、4年後を目指す理由がはっきりした」と、まだまだ夢の途中であるコメントを残しました。同様に、本書に書かれている義足開発もまだまだ「物語の途中」です。その義足が踏み出す未来に何があるのか、デザインを信じる男が描いた未来は訪れるのか。最後に、山中氏の前向きな言葉を引用しておきます。

“すぐれたデザインは、どんな場面でも、人の気持ちを少し明るくするものだ。それは大きな力ではないかもしれないが、決して無力ではない。素敵なデザインの義足は、きっと切断者たちを少し前向きにすることができる。それは、小さなきっかけかもしれないが、大きな成果となりうる。周囲の人が気持ちよく眺められる義足をつくること、それにはきっと意味があるに違いない”
(オグマナオト)