そういう噺も古典落語にはあるのだ。
おしまいにもう一度『生きる悪知恵』の話に戻る。私が強く共感を覚えたのは「いつまでたっても親と仲よくできません」という48歳・男・自営からの相談に対する西原の回答だ。質問者に対し西原は「私も自分の母親があんまり好きじゃないです」と切り出して以下のように語っている。全文を紹介すべきなのだが余裕がない。極端な要約であることをお断りしておく。
「でも、親と子は別の人間だし、別の人生なんですよ。仲よくできないものはしょうがない。(中略)親孝行もいいけど、そのへんちょっとはき違えて、優先順位を間違ってる人が多いんですよ。家族のことを考えたら、姥捨て山に捨てなければいけないときがあるんです。(中略)一番大事なのは、家族と仕事でしょう。私、その家族に親は入ってないから。邪魔なものは親でも何でも捨てちゃわないと、自分が難破しちゃうから。鴨ちゃんのときも(注:前夫の鴨志田穣。故人)、「これ捨てないとダメだ」と思ったもん。肉親だからって我慢してると、結局、そのイライラが子供に向かって、子供に同じ因子を継がすっていう負の連鎖になる。それが一番恐ろしいから自分の代で切るべきですね」
この言葉には「芝浜」の甘えはなく「鼠穴」の厳しさがある。そしてさらに偽悪的な態度によっては隠し切れない優しさもある。「金がないのは首がないのと一緒」と言い切った人の本当の優しい顔はこういうところに現れているのだ。『生きる悪知恵』は、ちっとも悪知恵の本なんかじゃないよ。
※ここでは扱いきれなかった落語の「古さ」と「新しさ」の相克の問題については、明日、放送作家の松本尚久さんをお招きしてトークライブで考えていきたいと思います。ご関心のある方はぜひこちらを参考にご来場ください。
(杉江松恋)