えーと、ちょっと言い直しておきましょうか。
この本は、ハマクラ先生こと、日本を代表する作曲家の浜口庫之助が、生涯で唯一出版した本(の文庫化)である。
全4章の内訳は「音楽と人生」「ヒット曲の周辺」「音楽の秘密」「人生いろいろ」で、ハマクラ自身がどのようにして音楽と出会い、音楽に取り組み、音楽と共に生きてきたかを綴っている。だったら「音楽について書かれた本」じゃないか! と思われるだろうが、話はそう単純じゃない。
ハマクラは、終戦後の1946年にジャワ島から引き揚げてきてバンド活動を始めた。ギタリストとして日本中を巡業して回ったのち、マンボグループ「アフロクバーノ」を結成して、紅白歌合戦には三年連続で出場した。
1957年に作曲家へ転身してからは、『黄色いさくらんぼ』(作曲)、『僕は泣いちっち』(作詞・作曲)などを手がけた。なかでも安保闘争のあった1960年の『有難や節』(作詞)は、社会風刺を歌に込めたものとして大流行した。以後、『涙くんさよなら』『夜霧よ今夜も有難う』『空に太陽がある限り』など、数多くの流行歌を生み出している。最後の大ヒットとなったのは1987年の『人生いろいろ』(作曲)だった。
つまり、終戦後から昭和の終わりにかけて、常に人々の生活に寄り添う歌を作ってきたのがハマクラ──浜口庫之助だったのだと言える。だから、この本をただ単に音楽について書かれたものとして読んだのでは、もったいないと思うのだ。
「すばらしい夕日を見る。美しいバラを見る。子どもが頑張っている。人々が悲しみや苦しみに耐えて頑張っている。
「人間の営み」と「歌」は、切り離すことができない。
浜口は、先妻を病気で亡くしたあと、女優の渚まゆみと再婚している。二人の間には娘ができた。名前をあんずという。あんずちゃんは、絵本に夢中になると、周りの声が耳に入らなくなる。
それに対して、浜口はこのように言う。
「違うんだなあ。そんなときは放っておけばいい。子どもが絵本に夢中なときというのは、おなかがすいているのではない。
あるいは「ママあ、ママあ」と言って、台所にも買い物にも、ときにはトイレにもついてくることがある。こんなときは「おなかよりも心がすいている」と言う。だから、まとわりつく子どもにイライラした表情を見せてはいけない。そのかわり、やってきた子どもを「ぎゅっと抱き締めてやるべきなのだ」とも。
この「お腹がへった」「頭がへった」「心がへった」という、人間に訪れる3つの状態を題材にして、ハマクラは『あんずちゃん』という歌を作った。
(とみさわ昭仁)