8月30日から31日にかけて放送された毎年恒例のチャリティ番組「24時間テレビ」(日テレ系)。その番組内のスペシャルドラマ「はなちゃんのみそ汁」が、賛否両論分かれている。
乳がんに倒れた妻・千恵(尾野真千子)と、夫の信吾(大倉忠義)、そして娘のはな(芦田愛菜)の家族の絆を描く実話に基づく物語だ。
このドラマに対して「泣いた」「感動した」という声は大きい。ただし、「これを24時間テレビで放送してはいけないのではないか」という意見も目立ち、モヤモヤしている人も多い。実を言うと、私もモヤモヤしている1人だ。

ドラマのストーリーを簡単に説明しよう(日テレオンデマンドで見逃し配信中)。
新聞記者の信吾と、音大生の千恵。
2人は出会い、自然に付き合うようになった。結婚も考え始めたところで、千恵の乳がんが発覚する。25歳だった。信吾は千恵を支えることを決意し、結婚する。
あっという間に手術の日程が決まり、左乳房の摘出、抗がん剤治療が始まった。精神的にも肉体的にも追いつめられながらも、がんは消滅。
しかし医師から再発の危険性について宣言される。
難しいと宣告されていたにもかかわらず、千恵は妊娠。しかしそれは、がんの再発リスクを高めるものだった。一度はあきらめることも考えたが、結局千恵は子どもを産む決意をする。
そして産まれた女の子、はな。一家に訪れた幸せな日々は、長くは続かなかった。
左肺にがんが転移していたのだ。千恵は抗がん剤での治療を拒否し、〈規則正しい生活〉と〈玄米中心の食生活〉で一度はがんに打ち勝つのだがーー

ドラマの脚本は映画やアニメなどで活躍している西田征史が担当しており、いわゆる「難病ドラマ」としてとてもよくできている。芦田愛菜の演技は相変わらず「愛菜ちゃんじゃない、愛菜さんだ……」という気持ちになるほどうまく、涙腺が緩むシーンもあった。
それらを超えてなお、モヤモヤするポイントはいったいどこにあるのだろう? 原作の『はなちゃんのみそ汁』(文春文庫)も併せて考えてみた。


■〈食事療法〉に傾倒する危うさ

本作の最大のモヤモヤポイントが、がんの再発に際して夫婦が選んだ治療方針だ。ドラマでは、がんを克服した人物が千恵にこう語るシーンがある。


「病気の原因は生活にある」
「私の場合自然治癒力が高くなったのが食事療法。思い切って『抗がん剤やめます』ってやめちゃった(笑)」
「平熱は? だめよだめ、癌は熱に弱いんだから。免疫力を上げて36.5℃まで上げなきゃ」
「食事は味噌汁と玄米中心の食事ね?」「発酵食品は腸の中を整えるの」

かつて抗がん剤の治療に心身ともに苦しめられた千恵は、この言葉をきっかけに食事療法に目覚める。早寝早起き、食事の時間を整えて、味噌汁と玄米中心の和食を毎日とるようにした。ホルモン剤による治療も並行して行い、一度はがんが消滅するという大きな成果が表れる。
しかし、二度克服できたと思ったがんは、いつの間にか全身に転移していた。
いわゆる末期がん。さまざまな抗がん剤を試すが効果はなく、千恵は亡くなってしまう。

食事療法や民間療法、いわゆる〈代替療法〉と言われるものは、世の中にあまた存在する。実際、代替療法でがんを克服した人の体験談なども紹介されている。ただし、代替療法の中には根拠が薄いものも大きく、無批判に傾倒するのは危険だといわれている。
「はなちゃんのみそ汁」は、「代替療法の効果が出て一度はがんが消えた」というポイントが目立つ構成になっている。
作品の中で(そして実際に)千恵は亡くなってしまうのだが、代替療法に強く疑問を示すような言葉はない。
病気に追い詰められた患者は、藁にもすがるような思いで治療法を求めている。ドラマ「はなちゃんのみそ汁」を見た人が代替医療に傾倒してしまうかもしれないーーそんな不安を捨てきることはできない。


■ブラックジャック、治療拒否……原作との違い

原作『はなちゃんのみそ汁』と今回のドラマでは、変更されている点がある。
まず、実名がほぼ出てこないこと。原作では実際の代替医療を推進する活動をしている人物が数人はっきりと挙げられており、深い交流があることも示される。彼らの「宣伝」になってしまわないためにか、彼らの意見は「がん克服患者」1人の台詞に集約された。

また、理屈では説明の難しい部分もカットされている。治療の途中で現れる謎の医者・ブラックジャックの存在だ。彼が千恵に〈黒い液体〉を注射すると、肩の痛みが嘘のように消える。
「何を驚いているんですか。肩凝りを治すぐらい簡単なこと。私はあなたのがんを完治させるつもりですから」
彼の協力もあり、再発したがんはいったんは消滅する。しかし、菜食に傾倒していく千恵とブラックジャックは〈信頼関係〉を失っていく。がんが全身転移したあと、信吾はブラックジャックに助けを求めるが、すげなく拒否されてしまう。
「亡くなった人たちに共通するのは、私との信頼関係を失くしてしまったこと。あなたがた夫婦もそうです。千恵さんはもう助かりません」

いちばん描くべきなのに描かれなかったポイントは、代替療法で快癒したあとの2人の行動。原作ではこうある。
〈肺がんの病巣が消えて以来、九州がんセンターに行かなくなった。(病院から)ホルモン療法も継続を勧められたが、かたくなに拒否。「大丈夫です」と言い張った〉
〈先生から「検査だけでも来てください。待っていますよ」と手紙をいただいた。それでも、千恵は行かなかった。「免疫力が落ちる」と、検査で血を抜かれることさえも嫌がった。過剰ともいえる免疫力信仰が、千恵をそうさせていた。ぼくも、無理には病院通いを勧めなかった〉
代替医療の成功は、引き換えに病院への不信感も生み出してしまったのだろうか。千恵は病院から距離を置き、結果として全身転移の発見が遅れてしまった。2人(特に信吾)はこのことをひどく悔いている。
ドラマでは、このくだりはカットされている。結果、代替医療の光の面が強調されてしまった。そうではない、陰の部分があることを示唆することはできなかったのだろうか。


■見逃されてしまいがちな「はな」の気持ち

先述の通り、はなは待望の子どもではなかった。千恵は妊娠がわかったときに中絶を口にし、「私が再発してもいいの。抗がん剤の影響で子どもに後遺症が残ってもいいの」と信吾を問い詰める(※抗がん剤は子どもに影響を与えないという研究もある)。
しかしはなの存在は、夫婦の支えになる。とてもいい子だ。千恵はがんに苦しみながらも、「しっかり生きていけるよう」と娘に家事を教えた。そのおかげではなは、幼いながらも自分で朝食を作ることができるし、身の回りのことも1人でできる。

千恵が亡くなったあとのはなの行動は、いじらしくけなげ。同時にひどく痛々しい気持ちになる。遺影の前で毎日酒を飲み、タバコと安定剤の手放せない父に、はなは朝6時に起きて味噌汁を作る。はなは娘の役割も妻の役割も担おうとしている。
原作ではこのような一文がある。
〈「パパ、お仕事がんばってね。はなが、ビールついであげるからね」(中略)はなの中に千恵がいた〉
娘の中に妻を見るのは、いっけん美談だ。けれど少し複雑になる。これが娘ではなく息子だったら、こういう子に育っていただろうか? 子どもは想像以上に親から求められているものを受け取り、そのようにふるまってしまうものだ。

ドラマの終盤、はなは台所に立つ。
かつおぶしを削り器で削り、だしをとる。千恵のこだわりである〈皮がついたままの根菜〉の入った味噌汁。信吾は言う。
「おいしい。千恵と同じ味」
はなは嬉しそうに笑って、それからふと気が付いたように立ち上がる。食器棚から千恵の茶碗を取り出し、千恵が座っていた席についた。
(青柳美帆子)