5月13日、産婦人科での勤務体験を描いた漫画『透明なゆりかご』が発売された。作者は、コミックエッセイ『毎日やらかしてます。
アスペルガーで、漫画家で』
『蜃気楼家族』で知られる沖田×華(おきた・ばっか)さん。今作についてお話をうかがった。
「母体から出された中絶胎児を専用のケースに移して、業者さんに渡すだけです」産婦人科実録作者に聞く1
『透明なゆりかご』(沖田×華/講談社刊)

「命だったカケラを集める」仕事


──第1話の中絶した胎児をケースに入れているシーンは大変ショッキングでした。マニュアル通りに作業していたとのことですが、具体的にはどのような内容だったのでしょうか?
沖田 母体から出された中絶胎児を専用のケースに移して、業者さんに渡すだけです。本当に簡単で、誰にでもできる仕事でした。処置室の壁に貼ってあったマニュアルも「これに入れて伝票を書く」「伝票の控えはとっておく」というレベルです。あとは「後片付けまでちゃんとやりましょう」みたいな。

──ケースの大きさってどれくらいなのですか?
沖田 フィルムケースか、それよりも少し大きいくらいでしょうか。妊娠週にもよりますが、胎児は大体親指の第一関節くらいの大きさでした。日本の中絶方法は胎児を子宮から掻き出す“掻爬(そうは)”と吸い出す“吸引”を併用します。ほとんどが原形をとどめていません。たまにそのまま出された子とかもいて。本当にキレイなんですよ。
こんな小さなものが大きくなったらおぎゃあおぎゃあいうのかって。命そのものだと感じました。
──当時、沖田さんは准看護学科に通う高校生ですよね。看護師の免許がない立場でできるということは、その仕事は医療行為ではない?
沖田 そうです。妊娠12週未満の中絶胎児は医療廃棄物で、この仕事は“お片づけ”です。胎盤の処理とかもしていましたね。
大きいので粉砕して廃棄するんですよ。ちなみに12週をこえてからの中絶は法的に死産となり、戸籍に残ります。役所への届けが必要ですし、火葬もするので葬儀屋さんの手配をしてもらいます。
「母体から出された中絶胎児を専用のケースに移して、業者さんに渡すだけです」産婦人科実録作者に聞く1
「ホルマリンに入れられた胎児は本当にキレイです」

日本の死因1位はガンではない


──90年代の日本は、人工妊娠中絶が死因第1位だったというのを初めて知りました。生まれてこない赤ちゃんがそんなにいたのかと…。沖田さんのいた病院では中絶と分娩の件数はどれくらいありましたか?
沖田 個人病院だったのでそんなに大きくありませんでしたが、中絶は必ず1日に1件はありました。入らない日はなくって、多い時は3件くらい。
特に夏休みが終わったくらいは連チャンでしたね。その季節は高校生とか大学生くらいの10代が多かったです。今は15歳未満の妊娠が増えていると聞いています。分娩は予定に入っていてもなくなることがあるので、毎日あるものではありませんでした。1日に2件入ると忙しいなという感じです。
──中絶が本当の1位だと聞いた時のことを覚えていますか?
沖田 「そんなにヘマしている女性がいるの!?」と思いました。
その時はまだ性交渉未経験だったのでしなきゃいいのにって。きちんと避妊をしない女性側が悪いというスタンスでした。この人が痛い思いをするのは仕方のないこと。赤ちゃんはもっと痛かったんだからって。中絶する女の人の気持ちはまったく考えていませんでした。病院の看護師たちも「カレシ カノ女の間でできた子を中絶する女は自業自得」という感じです。

──結構ドライですね。
沖田 そうですね。実は中絶って2回3回とやる人が結構いるんですよ。「1回ならともかく、なんで?」って。4回中絶した人を知っていますが、経済的に育てられないという主婦、ヤンキー、男のいうことに逆らえなくてズルズルしちゃう人など事情も立場も様々でした。

現実はフィクションよりもバッドエンドだった


──不倫の妊婦さんのお話で、最後赤ちゃんが亡くなってしまうというのは実際にあったお話ですよね?
沖田 そうです。添い寝でお乳をやっている時に窒息してしまったと人づてに聞きました。事故死です。お母さんは前向きになって退院されたのに、バッドエンドになってしまったなと…。
──あの話を読んだ時、実録感にヒリヒリしました。他にも沖田さん自身の性虐待被害が語られる話も衝撃的です。
沖田 子供の時に遭った性虐待というのは、無知なので“よくわからない出来事”なんですよね。けれど似たような被害をうけた子と話している時、私だけじゃないんだと安心したことを覚えています。こういうことはどこでもあることで、私はたまたま当たってしまったひとりなのだなと思うようになりましたね。被害に遭った理由もずっと考えていましたが、わたしが弱くてバカだからつけこまれた。じゃあ男に期待したり頼ったりするのはやめようと。
──看護師を目指したのは、お母様の勧めだとうかがいました。
沖田 そうです。看護師の免許をとったら食いっぱぐれないし、将来安泰だよと言われました。女ひとりで食べていけるならいいかなって。わたしの地元は、夫は外で稼ぎ、妻は子供を育てて家を守るものという考えが根強い場所でした。そういった父権的な家族のあり方に抵抗感がありましたし、うちの父も大変ないばりん坊だったので…。実家は中華料理屋でご飯は毎日ラーメンや残り物ばかり。「もうラーメンいや」って言ったら「誰のおかげで飯が食えとるんだ」と言われ続けました。お金ができても家庭に入れるのではなく自分の親に渡すような人で、家はいつもお金がありませんでした。お風呂がないから銭湯行けば痴漢に襲われるしもう散々。でも結婚ってそういうものだと思っていました。人の言うことを聞いて、人が持ってきたお金で肩身の狭い暮らしをするのが日常だったんです。はやく独り立ちしたくて、高校卒業と同時に家を出ました。
──看護師はどのくらいやっていたのですか?
沖田 准看護師の資格があったので、小児科で働きながら正看護師の専門学校に入るために浪人をしました。定時制の看護学校に合格してからは午前中働いて午後学校に行き、夜また病院で働くという生活を3年続けました。23歳までやっていたのでアルバイト期間を含めて4年くらいでしょうか。
──看護師を辞めたきっかけは? 
沖田 親の離婚問題と職場の人間関係で疲れてしまって…。自殺未遂をした時に、そんなに無理して看護師を続けなくてもいいのではと思ったんです。生活は安定はしていましたが、ちっとも幸せじゃなかった。親の幸せとわたしの幸せが根本的に違うのだと実感しました。お互い幸せになろうとがんばっているんですけど、これはダメだな〜と。気分転換に別の仕事をしようと考え、高級風俗の面接に行きました。

看護師は風俗にむいている


──その流れは正直驚きました。なぜ風俗だったのでしょう?
沖田 年収を落としたくなかったのと、もともとそういうのに抵抗がなかったからですね。3Kといわれる看護師をやっていたおかげかもしれません。男性に対して期待も抱いていませんでしたし、お金を落としてくれる人くらいに割り切っていました。入ってみたら元看護師という人が多くって! 夜強いし酒もタバコもばんばんやるからキャバクラとか水商売にもたくさんいました。結構適任なのかしらと思いましたね。「イヤな客は精神にくるけど、患者だと思えば大丈夫」っていっている人がいました(笑)。
──ポジティブですね(笑)。他に風俗以外で考えた職業ってありましたか?
沖田 助産師ですね。正看護師になると1年間別の専門学校に行けるんですよ。助産師か保健婦のどちらかなら助産師かなと。学校の先生の方が楽だから皆保健婦を希望すると聞きました。産婦人科は不規則で失敗できないし、24時間対応です。体を壊して個人病院が今どんどん辞めています。大きな病院の産科も廃人みたいになって働いているといいます。わたしには務まらないと諦めて、楽な風俗いっちゃいました!(笑) 若いうちしか稼げない職業なので、2年間、朝11時から24時まで12時間働いていました。1日大体8人、多い時で13人指名が入ったことがあります。
──13人…!? 全然楽じゃないですよ!(笑)
沖田 さすがにオーバーワークでしたね(笑)。

(松澤夏織)

後編につづく

沖田×華(おきた・ばっか)
富山県魚津市出身。看護師、風俗嬢、AV出演を経て漫画家に。著作には「毎日やらかしてます」シリーズ、『ギリギリムスメ』などがある。幻冬舎コミックplusにて『蜃気楼家族』を連載中。