朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)10月27日(火)放送。第5週「お姉ちゃんに笑顔を」第26話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:新田真三
嵐のはつ、快晴のあさ「あさが来た」26話
NHKドラマガイド「連続テレビ小説 あさが来た」Part1 NHK出版

26話は、こんな話


貧しい長屋に身を隠していたはつ(宮崎あおい/さきの大は立)は、訪ねてきたあさ(波瑠)を冷たく追い返す。
すっかり気落ちしてしまったあさの元に、五代(ディーン・フジオカ)が訪ねてきて、都が東に移り、大阪商人は自力で頑張らないといけないので、力を合わせてビッグ・カンパニーをつくろうと持ちかける。

困ったことから逃げる旦那さま


はつの身に起った不幸に、あさは気が気ではない。
「あさでも気落ちすることがある」と驚かれるほどすっかりしょげ、幼さを露呈するあさに対して、新次郎(玉木宏)はなぜか軽い態度。
「うんとかすんとか言うてるだけで」何もできないと言い訳する。
「うんとかすんとか言うてるだけで」もいいとあさが請うと、「すん」と言い、「うんはいいけどすんってなんやろな ははは あほみたいや」と去って行く。
「すん」ともう一度言う念の入れようで。

新次郎は、ふたりで辛気くさい顔をしていてもしょうがないとバランスをとっているともいえるが、難しい問題になればなるほど、あほになって逃げてしまう性分のようでもある。

とはいえ、新次郎はほんとのあほではないので、はつがなぜ、お互いの家を守ろうとあさに言ったのか、という点に注目する。
その疑問は、26話の最後、はつが恥を忍んで泊めてくださいと民家に頼む役割を果たし、さらには、意地悪な姑・菊(萬田久子)を惣兵衛(柄本佑)の刃から守るという果敢な行動に出ることで、視聴者はなるほど、と理解できる仕組みとなっている。

運命の嵐に翻弄されるはつ


はつは本当に複雑なものを背負っている。
長屋にやってきて、「なんも気いつかんと堪忍してな」とか「なんで相談してくれなかったのか」とか、うちに何かできることがないかと嘆くあさをはつが「顔も見たくない」と冷たく追い返したのは、「うちが合わせる顔があらへんのや」という気持ちから。
薄い1枚の障子をはさんで、あさとはつの顔が交互に映る。
ほんの少しのボタンのかけ違いから、運命が変わってしまった姉妹。

おのれの運の悪さへの絶望や疑問、妹に気を遣わせてしまう自分の状況への嘆きや悔しさ。とはいえ、妹を大事に思っている気持ちは変わらないから、引き裂かれていく痛み。
宮崎あおいの嵐のような凄まじい表情をカメラがしっかり捉えている。

ただ、彼女も夫の惣兵衛も、舅も姑もとくに策もないまま店を倒産させてしまったわけで、同じお金を借りるにしても、あさはビジョンや覚悟をもっている。単に運が良い悪いではなく、現実の厳しさを突きつけてくる脚本だ。

生きるために、次々策を巡らせていく良い例が五代。

大阪府権判事になった彼は、大阪弁もマスター。英語も使い、洋装もして、どんどんアイデアを考えて、ひとを巻き込んでいく。「けったい」と言われても気にしない。
外国で仕事をしてきたディーン・フジオカの演技は決して巧いとは言えないが、彼の発する熱量の高さが、時代を変えていく人間らしく、画面を輝かせる。
あさの波瑠も同じで、このドラマでは、あさと五代が快晴の日の太陽のように徹底して明るい。朝ドラのヒロインの最重要ポイントだ。

(木俣冬)

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