とにかく重苦しく、つらい映画ながら、シュワルツェネッガーが無二の存在感を見せている映画『アフターマス』。往年のアクションスターがアクション抜きで「怒れる男」を熱演した作品である。

「アフターマス」老境のシュワちゃんが新境地を見せる、アクション映画ファンは劇場で見届けるべき

実際の事件をモチーフにした、不幸すぎる飛行機事故


ローマンは建築現場の現場監督。彼はクリスマスに合わせて飛行機で帰ってくる妻と娘、そしてもうすぐ娘が出産するはずの孫を心待ちにしていた。しかし、空港に家族を迎えに行った彼を待っていたのは、2人が乗ったAX112便が空中衝突を起こし、搭乗していた全員が死亡したという報せだった。

事故の直前、管制官のジェイクは管制塔で自らの仕事に就いていた。いつものように終わるはずの仕事だった。しかし、電話回線の工事で繋がりにくくなった電話、食事を買いに出ていった同僚、荒天による着陸地点の変更の連絡、そして同高度を飛んでいた旅客機という偶然が重なり、彼が見つめるレーダースクリーンの中で2機の旅客機がロストしてしまう。事故を知らせる航空会社からの聞き取りで涙を流し、錯乱するジェイク。
家族に当たり、報道陣には追いかけ回された彼は憔悴しきり、仕方なしに名前と住所を変えて別の人生を歩み出す。

一方、唐突に家族を奪われたことの不条理がどうしても納得できないローマン。航空会社の保障も蹴り、なんとか仕事に復帰しようとするもどうしても身が入らない。1年の後、行方をくらませたジェイクの住所を割り出した彼は、話をつけるべく自らジェイクの家に赴く。

2002年に発生したユーバーリンゲン空中衝突事故をモデルにした『アフターマス』では、舞台をアメリカに移しつつ(実際に事故が発生したのはドイツ)事故原因はかなり正確に実際の事故をトレースする。管制官は1人しかおらず、間の悪い偶然が複数重なったことで大事故が発生するくだりは見ていて胃が痛くなるような緊張感だ。


映画の構成としては管制官ジェイクと、事故で家族を失ったローマンそれぞれの視点を介した形になっているのだが、本編でのボリュームはアーノルド・シュワルツェネッガー演じるローマンの葛藤を描いた部分の方が多い。そしてこのシュワルツェネッガーの佇まいが『アフターマス』の重いストーリーに実にしっくりきているのである。

怒れる男、シュワルツェネッガー


ローマンは無骨な仕事人間だ。冒頭で「今日は娘さんたちが帰ってくるんだろう」「明日は出勤しなくていい。家族と過ごせ」「絶対に出勤するんじゃないぞ」と念を押されているところを見ると、放っておくと仕事ばかりしている実直な労働者であることがわかる。

そんな彼だが、家族が帰ってくるのに備えて「WELCOME HOME」という文字を家に飾り付けたり、ちょっと派手なシャツを着て空港まで迎えに行ったりと、再会を彼なりに楽しみにしていたことがわかる。
しかし、ローマンの日常は事故で一変する。温和で実直な労働者というキャラクターがそれまでに十分すぎるほど示されていただけに、家族を一瞬で失った衝撃に打ちのめされ、妻と娘が眠る墓の前で寝たりして生活が荒れつつも身近な人々に声を荒げたりはしない姿が一層痛々しい。

ローマンは怒る。俺は一度も謝られていない。カウンセラーも紹介されたし保障の手続きも案内されたが、一度たりとも、誰も俺に謝ってはいない。彼は目の前に現れる関係者に家族の写真を突きつけ、「よく見ろ」「俺の家族だ。
謝ってほしい」と怒鳴る。しかし、誰も彼の怒りに寄り添うことはできない。

この、「家族を失った怒れる男」という役に、老境のシュワルツェネッガーの佇まいがピタリとはまっている。かつては立派だったものの現在は線が崩れている肉体や、眉間に寄った深いシワ、たるんだ頬など、現在のシュワルツェネッガーを構成している要素が全てローマンという役柄に対して完璧に寄り添っているのだ。

これにはちょっと驚いた。加齢によって往年のように動けなくなったアクションスターを見るのはちょっとつらいものがあるけど、シュワちゃんにはこういう年の取り方があったのである。
『アフターマス』には派手なアクションシーンはない。ひたすらローマンが苦悩する、つらい映画である。そしてシュワルツェネッガーは見事に「肉体的に衰えた、怒れる男」という役柄を演じきっていた。昔はあんなに演技に幅がないって言われていたのに!

他の役者を完全に食う重量感のある演技を見せたシュワルツェネッガー。この重みを目撃するためだけに、特にアクション映画ファンには劇場に足を運んでほしい。つらい映画ではあるが、それを補って余りある「シュワちゃん、すげえな……」という驚きがあるはずだ。

(しげる)