先週、駅で女性を盗撮していた男性に注意したら、逆上して暴行を受けるということがありました(詳細は速報ニュースを参照)。そのことをTwitterやFacebookで報告したところ、たくさんの方々から心配の声や称賛の声を頂戴しました。


それはとても嬉しかったのですが、一方でモヤモヤしたものも強く感じたのです。私は当たり前のことをしただけなのに、なぜ「そんな男性は滅多にいない!」とまで大絶賛されているのか、と。例えるならば、会社のゴミ拾いをしたら社内から大絶賛されるような感覚です。

もちろんそれは痴漢や盗撮を注意するという当たり前のことをする人が少ないからでしょう。ではなぜ、盗撮や痴漢に注意できない人が多いのでしょうか?


見て見ぬふりの日本人、多過ぎませんか?


なぜ、日本人は痴漢や盗撮を止められないのか?【勝部元気のウェブ時評】
画像は本文と関係ありません

そもそも盗撮や痴漢をされた当人が被害を訴えても、周りから見て見ぬふりされることは非常に多いと言われています。実際、周りから誰にも声をかけてもらえなかったせいで、犯人を取り逃してしまった人や、「証拠を見せろ!」と脅迫する加害者の高圧的な態度にひるんでしまったという人も少なくありません。被害者は孤独の戦いを強いられることも多いのです。


駅で盗撮を注意したら暴行された私のケースでは、幸運にも止めに入ってくださった2名の男性と、駅員さんを呼んでくださった方がいたのですが、他にもたくさん人がいたのにもかかわらず、その人たち以外はやはりスルーでした。私はあえてそのような傍観者たちに目線を合わせてみたのですが、目線を逸らしてそそくさとその場を立ち去る人や、視線が合っているのに棒立ちで何もしない人ばかりです。

また、警察の到着を待っている時間にTwitter検索で調べてみると、「〇〇で喧嘩があった」と傍観していた人のコメントをいくつか見かけました。野次馬はどこの国でもいるのでしょうけれども、この国には見て見ぬふりがあまりに多すぎるなと改めて感じた次第です。これでは当然一般的な女性が声をあげるということは、かなりのハードルでしょう。


エゴイズムは恥という自覚が無いのでは?


また、女子SPA!編集部から事件の詳細についてインタビューをされた記事がヤフーニュースに転載されたのですが、そのコメント欄の中には、「すごく勇敢だと思うけど、旦那には真似して欲しくないと思うのは私だけかな?」という投稿がありました。そう、「自分(や自分と近しい人)さえ良ければ良い」というエゴイズムです。
おそらくこのように感じる人は少なくないでしょう。

確かに「自分や自分の大切な人が仕返しを受けるのではないか」とリスクを考えてしまうこと自体は、致し方無い側面もあると思います。ただ、その選択をすることは、被害者を見捨てて加害者に間接的に加担してしまっているわけです。「情けないこと」であり「恥ずべきこと」であり「醜いこと」であり、被害者にとても申し訳ないことをしているという自覚が必要でしょう。

ところが、巻き込まれたくないという思いが強い人たちほど、それらの罪悪感が希薄だと思うのです。どこか「自分が大事だから被害者を見捨てて当然だよね」という態度を感じます。
クラス全員がイジメの傍観者になればイジメが無くならないように、エゴイズムの人ばかりでは犯罪が無くなるはずがありませんね。


犯罪を止める人に降りかかる日本独自の圧力


また、コメント欄の中には「このような行動は珍しい。日本人男性は勇気が無い人が多いから」のような書き込みを見ました。イメージにしか過ぎませんが、確かに外国人男性のほうがこのような場面で積極的に声をかける人が多い印象は私にもあります。一方の日本人はシャイゆえに人に話しかけるのも苦手で、目立つようなことを避けたいという抑圧が強く働いているため言い出せないという印象です。

ですが、そもそも注意することがなぜ目立つのでしょうか? もちろん答えは誰も注意しないからです。大半の人が見て見ぬふりをするからこそ、追随する人がほとんど現れず、注意することが大衆から逸脱した行動になり、周りから一斉に注目を浴びます。
そして加害者と1対1勝負の“見世物”になることを強いられるのは確実です。

これがもし、見て見ぬふりをしない人ばかりの文化があれば、「何があった?」「どうした?」「大丈夫か?」と追随する人がどんどん周りから現れるので、最初に注意をした人も孤独にはなりません。また、仲裁者が増えるほど加害者に対する抑止力は高まりますから、注意をした自分一人が仕返しされるという危険性も低下します。

前者と後者、どちらが勇気を振り絞らなければならないかと言えば、当然前者です。日本は犯罪を注意した人に追随する人が少ないために、注意することのハードルがべらぼうに高くなってしまっていると言えるでしょう。


本当に日本って治安良いの?


このような状況を見ていると、本当に日本は治安が良いのか疑問に感じざるを得ません。確かに周りの迷惑を気にして「社会ルールを逸脱する行動には出ないほうが良い」と考える控えめな日本人は多いのかもしれないですが、上記のように注意する人が少ないために、盗撮や痴漢に限らず身近に起こる全ての犯罪を止める力が市民社会の間にほとんど働いていないと思うのです。
これでは社会的立場が弱い人が泣き寝入りを選択せざるを得ないのも当然ではないでしょうか?

「日本は法治が徹底されていない泣き寝入り社会だから、社会的弱者ほど体感治安が悪い」という話は、以前のエントリー「なぜ、善良な市民たちが『共謀罪』に賛成するのか?」で紹介しました。そして、今回紹介したように発生した犯罪を市民が抑止できていないという点も、日本の体感治安が悪いことの大きな要因だと思うのです。

もちろん、犯罪を取り締まる法規制や、予防する法律、さらにはその運用に関しても、日本は未熟なことばかりです。たとえば、今回ヤフーニュースのコメント欄で知ったのですが、盗撮の写真や映像を売買する「Gcolle」や「Pcolle」というサイトがあり、中をのぞくと店員に着替えさせてその様子を撮影する等の愚劣な犯行が完全に野放し状態です。


悪を許さないという姿勢を表明しよう


今回、私が受けた暴行に関しても、被害届を出す人はあまりに少な過ぎます。本来はイジメもDV(デートDV含む)も体罰も、片っ端から警察送りにしないといけないのですが、その大半は野放しです。
犯罪者が平気でのほほんと生きていける国、被害者の多くが泣き寝入りを強いられる国。本当にこのままで良いのでしょうか?

面倒かもしれないですが、一人ひとりがしっかり被害を訴えることが何よりも大事です。確かにいきなり巨悪と戦うことは難しいかもしれないですが、「私はor僕は被害に遭った時、しっかりと警察等に訴えようと思います!」というスタンスを予め周囲に示し、「犯罪者が現れたら一緒に助け合って注意しましょうね!」と仲間を作っておくことから始めてみると良いかもしれませんね。

そうやって一緒に安全な社会を作って行きませんか?
(勝部元気)