女性蔑視社員を解雇できるGoogleとできない日本企業の差【勝部元気のウェブ時評】

「テクノロジー業界に女性が少ないのは、偏見や差別によるものではなく、男女の生物学的な違いが原因」と社内文書で主張したGoogleの男性社員James Damore氏が、解雇されるということがアメリカで起こったようです。

CNET Japanの報道によると、解雇の理由としては「ジェンダーバイアスを捨てきれずにいる」という理由のようで、CEOのSundar Pichai氏は、公式ブログに従業員宛てのメッセージを公開して、今回の文書が「行動規範の違反」に相当するとし、「我々の職場において、ジェンダーに関する有害なステレオタイプを助長させてしまい、一線を越えた」と非難しました。



ジェンダーバイアスは血液型占いと同じレベル


一部では「解雇はやり過ぎだ」という声も出ているようですが、もちろんGoogleの判断は私も正しいと思います。詳細は後述しますが、ジェンダーに対する偏見がいかに「危険な思想」であるかを分かっていれば、解雇という判断は決して重くはありません。

逆に、日本の職場では、このような偏見を当たり前に口にして有害なステレオタイプを助長している人は少なくないはずで、企業が解雇という厳格な対応をすることで「働きやすい職場」を作ることができるアメリカの法律をとても羨ましく思ってしまいました。日本は解雇に関する要件がかなり厳しいですが、このような差別や蔑視の事例における解雇については、規制緩和をするべきでしょう。

確かに昔から理系科目は女子が苦手と言われることは多いですが、フランスで2022年に医師の約60%を女性が占めると予測されているほど急速に女性医師が増えている等、近年ヨーロッパを中心に理系の分野において女性が男性を上回る事例が出ています。もちろん「男性は医師に向いていない」という偏見があるわけではないので、生物学的な差というものはないように思うのです。

結局のところ、向き不向きに関しては、性別差よりも個体差による影響のほうが大きいのではないでしょうか? それに万が一男女で多少傾向の違いにあったとしても、教育等の他の変数で簡単に超えられるものであり、「A型は几帳面」のような血液型占いと同じレベルのものでしょう。
そのようなことをいちいち発言するメリットは男性にも無いですし、むしろ女性への抑圧を生むというマイナスの影響しかありません。


終わっているのはGoogleじゃなくて日本のネット民


ところが、このニュースに対して、日本のインターネット上でも「グーグルもジェンダー病か、終わったな」「女様優遇か」「女性様を少しでも批判するとこれだ」「もうグーグルは女だけでやってればいいんじゃね」「グーグルも衰退期に移行しつつあるな」等、Googleの対応を批判する声が散見されます。

私としては、ダイバーシティ経営を武器に多様な人材を世界中から集めて時価総額世界2位まで上り詰め、今なお拡大している超優良企業に対して、安易に「終わったな」と言えてしまう神経に心底ビックリしてしまいました。15年前にとっくに終わってしまった人たちの負け犬の遠吠え・恨みつらみにしか聞こえません。天に唾しているようにも見えます。

また、Googleは差別をする人に厳しい態度を取っただけなのに、これを男性に対して厳しい態度を取ったと勘違いする人が多過ぎます。偏見か否か、有害か否かという視点ではなく、「会社は男女どちらかの性別の味方か」という視点でしか物事を見られていないところが善悪の区別がついていないですし、認知がかなり歪んでいると言えるでしょう。



ウイルスも多様性の観点から保護すべきとでも?


また、このように普段多様性を重視する個人や企業が、差別に対して厳しい言動・態度を取ると、必ずその多様性ポリシーに対して難癖が飛びます。今回も「多様な意見交換を行える職場じゃなかったのか!」という書き込みがありました。

私自身も、記事やSNSで差別に対して反対すると、差別を言っている側の人々から「お前らは多様性を尊重すべきと言っているのに俺の意見を排除するなんて矛盾している!結局は自分たちにとって都合の良いものだけ尊重しているだけで、むしろお前らこそ差別主義者や独裁者ではないか!」と難癖つける方が必ずと言って良いほど出てきます。

ですが、もちろんこれらの指摘は誤りです。彼らの主張は「生物多様性条約で鳥インフルエンザウイルスも保護の対象にせよ」と言っているに等しいと思います。多様性というのはどんな意見でも受け入れるというわけではありません。差別を受け入れてしまえば当然多様性によっては有害であるため、差別は多様性の概念から除外するべきものなのです。


おそらく彼らは多様性という言葉に対する誤った認識をしています。多様性が重要だというのは、現在という「点」の話をしているわけではなく、現時点から未来に続く「線」の話をしているのです。正確に言えば「多様性が重要」ではなく、「持続的な多様性が重要」であり、その持続性を脅かすから差別は多様性の適用範囲外なのです。

ちなみに余談で上記のロジックとは違う話ですが、「多様性と言いつつ俺の全体主義という一つの意見を否定するのか!」という多様性概念を利用した全体主義の正当化は大きな自己矛盾を孕んでいて、「あなたの意見だけ例外というのも多様な一つの意見なので」で論破できてしまいます。


変化の激しい時代、多様性無き企業は死滅する


Googleに限らず、多様な人材を活かす企業が伸びているというのは、今の時代もう常識でしょう。社会の構造や環境がますます複雑になる中で、それに対応するためには多様な人材で対応せねばなりません。


生物に置き換えてみれば分かるように、環境の変化が劇的に起こる時、それに対応できない種は絶滅します。そうならないために、多様な個体や多様な種を用意することで生き物は生き残ってきました。つまり、ますます社会環境の変化の速度が速くなる中で、多様性無き企業から消滅していくのだと思います。

だからこそ多様性を棄損する差別的な考えには厳しい態度が求められます。まさに今私たちに必要なのは以下の態度ではないでしょうか? これは職場に限らず、人間関係すべてに言えることだと思います。

「多様性には寛容であれ。
抑圧と差別には不寛容であれ」

(勝部元気)