五輪に向けた禁煙規制を邪魔する喫煙者の"思い上がり"【勝部元気のウェブ時評】

オリンピック開催に向けて日本でもようやく屋内全面禁煙の実施が検討されています。世界各国で公共空間における全面的な禁煙が法制化されているにもかかわらず、日本は飛行機内を除いて全く規制の対象となっておらず、努力義務に留められているというのが現状(参照:厚生労働省eヘルスネット )であり、一刻も早い規制の整備が必要です。


とりわけ、我が国では受動喫煙が原因で年間15,000人が死亡しており、受動喫煙対策は最も急務だと思います。2016年8月には、国立がん研究センターが日本人を対象とした受動喫煙による肺がんのリスク評価をこれまでの「ほぼ確実」から「確実」に引き上げたことからも、もはや議論の余地は無く、一刻も早く世界標準と同様の規制を定める必要があるでしょう。

ただし、制度改正の段階で様々な反対意見や慎重な意見が出てくるでしょう。骨抜きにしようという圧力もかなり強いはずです。そこで今回は、いかに日本が喫煙大国で、いかに喫煙者による「暴力」がまかり通っていて、いかに彼等の認識自体が非喫煙者に理不尽を押し付けているものかについて取り上げたいと思います。


受動喫煙はマナー違反ではなく命への暴力です


前述のように、受動喫煙が原因で日本では年間15,000人が死亡しています。つまり、起こっている現象をストレートに表現すれば、彼等は喫煙者によって命を削られて、死に至らしめられているわけです。
交通事故で死亡する人は年間約4,000人なので、「故意無き殺人」としては最も多いのが受動喫煙だという表現をしても、的外れではないと思います。

このように考えれば、もはや「受動喫煙はマナー違反」ではなく、「受動喫煙は暴力」と表現することが適切だと思うのです。一部の人から「最近は喫煙者に対する風当たりが厳しい」という嘆きの声も聞かれますが、年間約15,000人を死に至らしめているのですから厳しくなって当たり前でしょう。むしろ世界で最も禁煙の法制化が遅れているわけですから、まだ甘過ぎると言えます。

受動喫煙は暴力なのですから、それが家庭内で起こればDVです。受動喫煙による死亡者数は男性が4523人、女性が1万434人であり、女性が2倍以上となっていますが、その理由について、「家庭内での受動喫煙率が女性が圧倒的に高いため」と国立がん研究センターは見解を述べています。
女性のほうが男性よりも受動喫煙というDVの被害に遭っていると言えるでしょう。

また、喫煙や受動喫煙は流産や不妊の原因の一つとも言われています。つまり、女性の生殖機能や子供の命への暴力でもあるわけです。もちろん、相手がどのような人であれ受動喫煙という暴力は許されるべきではないのですが、子どもを望む女性の前でたばこを吸うということは、二重の罪を犯していると言っても過言ではありません。

このように、受動喫煙は無慈悲な暴力なのですから、喫煙している人は、たとえ相手が了承しても絶対に非喫煙者に接触する場面やその前後でたばこを吸うべきではないのです。「相手が非喫煙者であっても了承すればその人の前で吸っても良い」と考えているならば、自分が他者に暴力を振るっているということに関してあまりに無神経かつ無頓着です。


中でも「たばこ吸ってもいい?」と聞きながら既に口にたばこを咥えてライターで火をつける準備している人をごくたまに見かけますが、愚の骨頂です。あのような「NOとは言わせない」態度で聞いても、全然聞いていることになりませんし、何も言わずに吸い始める人と何ら変わりありません。



単なる「分席」なのに分煙と偽る「分煙詐欺」


次に、受動喫煙防止の制度作りにおいて最も大きな争点になるであろう、飲食店での喫煙についても現状は大きな問題があると思います。

まず、喫煙が許されているお店というのは、かなりえぐい表現かもしれないですが、私の個人的な意見としてはゴキブリやネズミが大量に発生しているお店と同じにしか思えません。ゴキブリやネズミが大量に発生している状態というのは不衛生で、自分の健康を害する可能性があるから問題であるわけですが、受動喫煙も健康を害する可能性があるものです。大袈裟な表現だと思うかもしれませんが、両方とも健康を害する要因であり、その意味において大差はないと感じるのです。

また、食べログ等の飲食店情報サイトで「分煙」のお店を選んだにもかかわらず、単に喫煙者と非喫煙者の席を離しているだけで、空気が分かれておらず受動喫煙の害を被ったことがある人もいるのではないでしょうか? 私も何度かそのような経験があります。


分煙というのは「席が分かれていること」ではなく、読んで字のごとく「煙が分かれていること」が正しい意味ですから、単に席が分かれていることをもって分煙と表記するのは明らかに虚偽表示です。一刻も早く飲食店情報サイトは適切な表記基準を設けて、消費者庁も飲食店や飲食店情報サイトに対して是正を促して欲しいものです。

これに対して、「そんなにたばこの煙が嫌ならば禁煙のお店に行けば良いだけだろう」という反論をする人がいるかもしれませんが、それは日本の飲食店は非喫煙者を阻害しているという現状を無視した暴論です。食べログに掲載されている店舗数は2017年1月19日12時の時点で848,992店ですが、そのうち完全禁煙のお店は僅か127,761店に過ぎません。たった15.05%しか無いのです。

日本の喫煙人口は19.3%ですから、完全禁煙が約8割で、それ以外のお店が約2割というなら人口比的には公平なのかもしれません。
ですが、84.95%ものお店が受動喫煙の被害に遭う状態であり、明らかに非喫煙者が受動喫煙という暴力に遭うケースのほうが多いのです。被害者側が被害に遭わないようにするために選択肢が5分の1以下に削られるというのは明らかに不公平だと言えるでしょう。

もちろん完全禁煙の飲食店が約8割になったところで、残りの約2割のお店で働く従業員には影響が及びます。そもそも、煙が排気ダクトやコンセントの穴から流れこむこともありますし、サードハンドスモーク(たばこを消した後の残留物から有害物質を吸入すること)は防げませんから、「分煙」という発想自体が幻想です。よって完全禁煙以外の選択肢はありえないです。



生活のあらゆる場で受動喫煙の暴力にさらされている


職場の受動喫煙防止は進んでいるものの、まだ不十分です。喫煙可の職場で働いている人が被害に遭うだけでなく、たとえ会社内で禁煙を実施していても、懇親会や歓送迎会等で受動喫煙の被害に遭うというスモークハラスメントのケースも少なくありません。
2016年12月にはシステム会社のSCSK(東証一部)が懇親会も喫煙を禁止する旨を就業規則に追加したとのニュースが流れていましたが、全ての企業が実施するべきでしょう。

上記の飲食店のケースで触れたように受動喫煙はかなり厳格に対処しなければ防ぐことはできないという事実を考慮すれば、そもそも従業員が喫煙していること自体も問題です。たとえばリゾート施設の再生で名高い株式会社星野リゾートや、病児保育や障害児保育を展開する認定NPO法人フローレンスは、従業員採用に関して非喫煙者であることを必須の条件にしていますが、喫煙者が一人でも混じると受動喫煙を防止する環境は構築できないわけですから、このような取り組みをより多くの企業が実施するべきでしょう。

また、受動喫煙は共同住宅でも起こりうることです。たとえば、喫煙者がベランダで吸っていたしてもそれが隣近所に煙が及んで健康被害に遭ったというケースもありますし、部屋の中で吸っていたとしても前述のようにコンセントの穴から他の部屋に流れ込むこともあるのです。今後は敷地内全面禁煙の共同住宅が整備される必要があるでしょう。

さらに、五輪の絡む規制の議論では屋内全面禁煙が議論の対象となっていますが、受動喫煙という暴力を阻止するという本来の目的を考えれば、外での喫煙にもかなり強い規制を設けるべきでしょう。非喫煙者が通る通路に設置することや、子供が遊んでいる公園に喫煙スペースを作るケースも見られますが、それでは何の意味もありません。

歩きたばこ等に関しても一部の地域で禁止にしている自治体は増えてきたものの、いまだに違反をしている人を数多く見かけます。一刻も早くシンガポールのように全国で罰金の対象にして取り締まるべきでしょう。やや本題からは外れますが、一部のビーチで禁煙化がなされているように、今後は山や川等も含めた自然環境を保全するべき空間でも全面的に禁止する必要もあると思います。



「嫌煙」という言葉に感じる喫煙者の思い上がり


このように喫煙に関して様々な規制強化を求めていると、「嫌煙家」や「禁煙ファシズム」と言われることがあります。WHOからも批判され、世界標準から日本が取り残されているという現状を鑑みればあまりに禁煙を求めることをファシズムになぞらえるのは時代遅れの感覚でしょう。むしろ日本だけ喫煙を認めている実態を考慮すれば、禁煙ファシズムと批判する彼等こそ「喫煙ファシズム」の間違いではないでしょうか。

また、「嫌煙家」という表現も喫煙者の思い上がりから来る表現だと思うのです。というのも、自分の前でたばこを吸っても構わないという非喫煙者は、"特別に許してあげている"に過ぎません。むしろ許可する彼らのことを「許煙家」として特別視するほうが正しい認識でしょう。にもかかわらず、寛大過ぎる彼らのような存在を当たり前のように捉えて、嫌がる人を「嫌煙家」として特別視するのは自分勝手な思い上がりです。

たとえば煙突から発ガン性物質を慢性的に排出する工場が自宅の目の前に進出すると聞いて、反対する人は「嫌煙家」と呼ぶでしょうか? もちろんそんなことはありません。反対して当たり前だからです。それと同様、たばこに関しても発がん性物質を吸引させようとすることに対して嫌がることは至極当たり前のことであり、「嫌煙家」として悪者に仕立て上げるような表現は悪意に満ちていると言わざるを得ません。


喫煙者は高い税金を払っているという思い上がり


「喫煙者は高い税金を払っているのだからもっとたばこを吸う自由を認めるべきだ」という理由を述べる人がいますが、それも思い上がりです。

2016年9月に出された厚生労働省の有識者会議報告書、いわゆる「たばこ白書」によると、我が国の喫煙による経済的損失は約4.3兆円と言われている一方で、たばこ税の税収+生み出された付加価値は約2.8兆円に過ぎません。その差額の約1.5兆円は喫煙していない人たちにも負担が及んでいるわけです。

「他人に迷惑をかけなければ良いんだ」というのは幻想に過ぎず、喫煙者は非喫煙者に対しておんぶにだっこの状態というのが現実です。たばこの価格を経済的損失額と税収がイコールになるまで税率は上げるべきだと思います。


発がん性物質との共存なんて幻想だ


今回は禁煙にするべき根拠に関して様々な観点から意見を述べてきましたが、このように受動喫煙そのものを全面禁止にするべきだという意見を述べていると、妥協案を探ろうという発想からか、「喫煙者も非喫煙者もお互いが気持ち良く過ごせるよう共存できれば良いと思う」という意見を述べる人がいますが、それも幻想です。発がん性物質は容赦無く人々に襲いかかるわけですから、共存なんてできません。単なる人間と人間の共存の話とはわけが違うのです。

「最近世の中の禁煙化が進んで喫煙者は肩身が狭い」という人もいますが、そのような被害者ぶる姿勢にも憤りを覚えます。年間15,000人もの命を奪っているのは喫煙者ですから、大半のケースで喫煙者は加害者であり、被害者は非喫煙者です。肩身が狭くて当然です。

なお、誤解しないで頂きたいのですが、私は喫煙の自由そのものを奪おうという意見ではありません。ただし、喫煙の自由というのは、徹底的に受動喫煙と経済的損失のフリーライドを防止することを達成して初めて成り立つものだと思っています。現状はそれができていないのですから是正を求めるのは当然でしょう。

日本にいると私のような意見は過激な意見だと思うかもしれませんが、世界の規制基準からすれば、決して過激というレベルではないと思います。むしろ日本は健康に対する暴力や加害に対してあまりに寛容・無頓着なだけであり、それこそ問題だと思うのです。もしこれを読んでくださっている方が喫煙者の方であれば、禁煙を心から応援したいと思います。
(勝部元気)