約10年前、都内近郊で、治療費欲しさに、健康だった犬の気管にビニール袋を詰めて死亡させた悪徳獣医師がテレビのワイドショーをにぎわした時期がありました。結局、その獣医師には2年間の業務停止処分が下りましたが、獣医師免許はそのままというオチがつき、現在は別の土地で新たな商売を行っているとか。

当時、国家資格である獣医師免許の剥奪は前例がないとのことで、事件を起こしてもその職域は守られたようです。

 消費者センターに寄せられるペットに関する相談は、購入時の病気や、それに伴うキャンセル・返金に関する相談などが目立ちますが、医療ミスも少なくありません。さすがに冒頭のような、悪意のある医療行為の相談は少なくなってきていますが、獣医師の力量(判決文によると、診療当時の、いわゆる臨床獣医学の実践における医療水準)不足によって回復させることができなかった、もしくは命を落としてしまった場合、獣医師としての責任を果たせなかったと判断されるようです。

 ペット産業の飛躍的な発展とともに、ペットの健康を守る動物医療も充実し、その数も増えています。動物病院が舞台となった漫画がきっかけで、獣医大学の学生の9割近くが開業医を目指していた時代もあったようです。しかし、発展したらしたらで、やはり問題も起きています。


 日本国内での動物医療は、もともと軍馬や家畜を守ることを目的として発展し、高度成長期には、食品や環境の安全を守る公衆衛生の分野も獣医師の役割だったという経緯があります。“ペットのお医者さん”としての動物病院が脚光を浴び始めたのは、ここ20年くらいのことです。つい最近までの獣医師教育では、家畜に関する知識に重点が置かれ、ペットに関する知識は卒業後、専門の獣医師の元で自らが学ばなくてはなりませんでした。

 ペット動物に対する臨床の需要が増えるにつれ、当然、その質や内容に関する要求のレベルも上がってきます。人の医療と同様に、ペットに対しても専門性・高度な医療サービスが求められるようになりました。現在では分野別の専門医や、ペットの高度医療センターなどという施設もつくられています。
ニーズがあるから、サービスを提供する。これは至極当たり前の産業の構図ですが、サービスの不透明さから、問題視されるケースが増えてきているようです。

「高度な医療設備を使って検査を行い、原因がわかったものの治療法がなく、途方に暮れた」
「病状がなかなか改善されず、長期間通院していた。セカンドオピニオンでまったく違う病気と診断されたが、時すでに遅し」
「口コミの情報を見て病院を訪ねたが、評判とは違った対応をされた」
「急病のため、夜間に救急病院へ連れていくタクシーの車中で、運転手に『本当にあそこの病院に行くんですか? 本当に? 大丈夫ですか?』と念押しされ、帰りにその意味を痛感した」

 飼い主さんから消費者センターに寄せられた、動物医療に関する相談の一部です。思っていたより医療技術や知識が進んでいなかった、金額が高かったということに不満を感じる飼い主が多いようです。

 獣医師は、サービス業に分類されます。
しかし、その職種の性質上、医療行為や診療費に関する広告や公示は規制されています。何より、人に対する医療と大きく違うのは、動物医療に対する社会的システムが、実質存在しないということです。実際に医療ミスや誤診と疑われる事例があっても、相談するべき窓口がどこにもありません。何をもってして正しい診療なのかを判断する基準がないのです。前述の消費者生活センターにおいても、動物医療に関する専門の窓口があるわけではありません。獣医師会という組織においても同様です。
ペットが法律上“モノ”であるため、命に対しての社会的な対応がなされていないという言い方もできるでしょう。

 獣医療の発達したアメリカでは、診察の基準ともいうべき「コモンプラクティス」という考え方が浸透しています。ある症状に対してどう対応するべきか、どこまで行い、何ができなければいけないかという判断基準が浸透しています。これは新しい技術や知識が出てくるたびに書き換えられ、最新の情報が積み上げられていきます。もし自分の病院では治療が困難である場合は、他の専門医に委ねるべし、といった内容も含まれています。初めは訴訟に対する対策として普及した制度でしたが、全国の動物病院で共通認識されている内容であれば、利用する側も安心できる上、不安な時は確認することもできます。


 一方日本では、病院によってサービスの内容や診療技術が大きく違っています。では、動物病院を安心して利用するには、どうしたらいいのでしょうか?

 動物医療においては、人間のように「健康保険制度」が義務化されていないため、費用はそれぞれの病院が提示する金額を支払う必要があります。そういう決まりとはいえ、寿司店の時価と同じ、会計まで価格がわからないというシステムでは不安になりますよね。価格に関しては、診察時のインフォームド・コンセントをしっかり行う病院を利用することで、不安は解消できると思います。

 診察の内容は、不安であれば、セカンドオピニオンを利用するという手があります。例えば、腕も専門知識もある優秀な獣医師なのに、口ベタのため不安がられるという例もあります。
逆の例もありますが、なんにしても大切な家族の命を守るため、飼い主が納得できる相手に診てもらうことが大切です。

 また、いまやネットで検索すれば、専門的な情報にもアクセスできる時代ですが、飼い主側のネットリテラシーが不足していると、正確な情報を得られない場合もあります。口コミは多くの利用者がその店舗(施設)を選ぶための情報として活用されていますが、個人的な感情が入った情報は、一概に正確とは言い難い場合があります。

 動物医療に対するニーズが変化してきたことに対し、平成23年より“獣医師の質の向上”を目的とした教育改革が進められています。日本の獣医学を国際的な水準まで引き上げるため、獣医学教育のカリキュラムと臨床実習を変更するというものです。また、既存獣医師に対する生涯学習制度の導入も進められています。教員免許と同様に、その技量を定期的に確認し、有資格者の資質を問うというものです。これによって、いま問題になっていることがすべて改善されるわけではありませんが、少なくとも動物医療の高位平準化は期待できるため、安心してペットの治療を託せる病院が増えていくのでしょう。

 海外では、動物虐待は人間の命を脅かす凶悪犯罪の前駆事件として認識され、その対応を行う動物の監察医が社会的な役割として重要視されています。願わくば、いま日本の獣医師に不足している、動物福祉や動物虐待に関する教育プログラムが取り入れられ、獣医師の社会的役割の幅が広がることを期待します。
(文=成田司)

●なりた・つかさ
ペットビジネスライター。動物福祉の発想に基づく日本版ティアハイム設立を目指す「Giraf Project」を主宰。共著に『ペット市場の現状と展望2013-2014』(JPR)がある。