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35時間に及ぶ学生と機動隊の攻防…東大に炎が上がった「安田講堂事件」

2017年1月4日 05時57分 (2017年1月11日 05時50分 更新)

 全共闘運動、そして全ての学園紛争の“天王山”として記憶される「東大安田講堂事件」――。


 その火種となった東大紛争は、“登録医制度”に反対する医学部の学生たちが、無期限ストに及んだことに端を発する。


 これに対して大学側は強硬な姿勢に徹し、医局員と揉めた学生17人に退学を含む厳しい処分を下した。後に、そのうち1人の学生に誤認処分の可能性が強まるが、大学当局は処分の撤回に応じなかった。


 業を煮やした学生たちは昭和43年(1968)7月2日、安田講堂のバリケード封鎖を敢行。その3日後には、当時26歳だった理学部の院生・山本義隆氏(73)を議長に据えて、“東大全共闘”が立ち上がるのだ。 


 加藤一郎・東大総長代行は、ついに安田講堂のバリケード撤去を警視庁に要請。翌44年1月18日の夜明けとともに、決戦の火蓋が切られたのである。


すべての学園紛争の“天王山”として記憶される「東大安田講堂事件」(写真は現在の安田講堂)

「GQ Japan」編集長の鈴木正文氏(66)はその頃、慶応大学の社学同(社会主義学生同盟)の代表を務め、東大紛争の“最後の砦”に潜り込んでいた。


「安田講堂に入る前に、正門前のタバコ屋でエコーを買ったのを覚えています。一番好きなのはショートピースでしたが、手持ちが200円しかなかった。帰りの電車賃を考えて安いタバコにしたんですけど、それが不味くてね……」


 鈴木氏が配置されたのは5階のバルコニーだった。


「機動隊のヘリコプターから催涙液がばら撒かれると、パッと傘を差して防ぐんです。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

コメント 2

  • 匿名さん 通報

    ちょくちょく出てくるこの手の昔話は、専用のタグでやって欲しい。 社会ニュースじゃないよね?

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  • イエネコ 通報

    安田講堂1968~1969 島泰三 著、

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