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秋葉原 変容し続ける街で「なにもしなかった」オノデンが生き残った理由

2017年9月21日 11時00分 (2017年9月23日 23時01分 更新)

1960年代前半、東京五輪に沸く首都を活写した開高健の『ずばり東京』で、開高が描かなかった街・秋葉原。いまやJR東日本で9位の乗降客数を誇り、外国人観光客も多く呼び寄せる秋葉原は、どのように発展してきたのか。ノンフィクションライター・神田憲行氏が、その軌跡を辿る。
出典:「文藝春秋」2017年9月号・全3回


 しかし開高の「ずばり」に、秋葉原という文字は一度も登場しない。これは今の感覚からするとけっこう不思議なことではないだろうか。 この連載が開高健の「ずばり東京」をモチーフにしていることは読者のみなさんもご存じだろう。1960年代前半、東京五輪開催直前の東京のあちこちを開高が歩き回った名作ルポである。


 現在のJR秋葉原駅の1日の乗降客は24万6000人以上、JR東日本管轄の駅の中では9位に入る。上野や有楽町などよりも多い(2016年度、JR東日本調べ)。また「電気街」「アイドル」「アニメ」など秋葉原が人を呼び寄せるキーワードは豊富で、最近は外国人観光客も多い。


 では1960年代前半の秋葉原はどんな街だったのか。


 秋葉原は戦後、ラジオの部品、おもに真空管を売る露天商たちの集まりから始まった。しかし1949年にGHQが都市のインフラ整備のため「露店撤廃令」を出した際、代替地として提供されたのが、当時の国鉄の秋葉原駅のガード下の土地だった。ここに「ラジオストアー」「ラジオセンター」などが開店し、露天商たちはそこに収まった。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

コメント 6

  • 匿名さん 通報

    レポート用のnotePCを買いに最初に入った店がここでした。店員さんが「立ったままじゃ感覚がつかめないでしょ」と、机にお勧めPCを数台並べて実際の姿勢で打たせてもらえました。以来購入はオノデンです。

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  • 匿名 通報

    店員の対応や不良品の際の対応が悪いのも、ネット通販に傾く原因かと思う。折角、時間をかけてもねって。そうじゃないお店を作っているんですね。遠いのでオノデンに行けないのが残念。

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  • 匿名さん 通報

    1990年代後半から2000年くらいまでは毎日のように秋葉原へ繰り出してたけどもう15年以上行ってないな。自分にとっては何となくつまらない街になってしまったし,通販が便利だし。

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  • 匿名さん 通報

    コンプの化け物。それは「ズバリ頭狂」!あの文化泥国が大好きな良識的日本人と同じように、良識的な関西に、頭狂まんせーさせて、パクリの首都をシコシコホルホルしながら生きてるやつらw

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  • 匿名さん 通報

    店員はご老人ばかりで客への対応は上から目線だったが、我慢して電化製品を購入していた。ある日エアコンを買ったがすぐ故障したので連絡すると、使い方が悪い!と意味不明なことを言われ、それ以降足は遠のいた。

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