今週末見るべき映画「倫敦から来た男」

2009年12月11日 09:00
 7時間を超える大作「サタンタンゴ」や「ヴェルクマイスター・ハーモニー」などを撮ったハンガリーの監督タル・ベーラの新作は、メグレ警視シリーズで有名な作家ジョルジュ・シムノンの原作になる「倫敦から来た男」(ビターズ・エンド配給)である。

 ある殺人事件を目撃したことから、地味な暮らしをしている男が大金を手にする。それがきっかけで、男の運命がすこしずつ狂っていく。そして、また殺人が…。

 ドラマとしてはいたってシンプルである。タル・ベーラは、見事な映像と人物の心理描写を通してのサスペンスで、深い人間存在のドラマを構築していく。

 鉄道と船が隣接する港、暗く沈んだ雰囲気のなか、カメラはゆっくりと移動する。極端なアップからカメラが引いていく。長い長いロングショットである。モノクロームならではの光と影が交錯する。登場人物のショットからカメラがゆっくり移動すると、そこにまた、別の重要な人物たちが写し出される。極端にせりふは少なく、人物の表情や仕草から、それぞれの心理状態が露わになっていく。

 これは類まれな映像美である。しかも、心理描写でのサスペンスに支えられ、思わず画面に引き込まれてしまう。音楽が効果的、控えめながらリフレインして、ただならぬ緊張を醸し出す。時間は、ゆっくりと流れ、観客もまた、映画とともに時間を共有するような錯覚に捕らわれる。一瞬一瞬が、モノクロームの、動く芸術写真を見ているかのよう。

 むっつりと不機嫌な面持ち、大金を手にしても、ことさら何もなかったかのように振る舞う鉄道の監視員マロワン役のミロスラブ・クロボットが、奥深い芝居。日常の倦怠と、ふと手にした希望、幸福への欲望がないまぜになった役どころを、巧みに演じる。

 また、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」では、奔放な人妻役を好演したティルダ・スウィントンが、出番は少ないけれど、マロワンの、陰気で地味な妻役を力演する。

 タル・ベーラの描く映画世界は、口あたりのいいソフトクリームのようなものではない。CGを駆使した、ジェットコースターに乗っているような映画とは、徹底的に異なっている。本作では、計算され尽くした映像美と心理描写から、人間にとっての欲望や希望、幸福のありよう、だから生きることの意味を、静かに問いかけてくる。

 映画というメディアだからこそ成しうる、これもまた映画だ、という作家の自信と自負に溢れた映画と思える。


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