今週末見るべき映画「ゴダール・ソシアリスム」
2010年12月17日 09:00 「ゴダール・ソシアリスム」(フランス映画社配給)は、ジャン=リュック・ゴダールという映画作家の、80年にわたる経験、認識、思想に基づいた、おびただしい引用に満ちている。引用がコラージュされ、映像、音響としてのしかかってくる。いわば、映画の形をとった、ゴダールの知の展覧会、精神の履歴書のようなもの。それがさながら、万華鏡のように変転し、回転し、交錯する。めくるめくような映画の時間が続く。豊穣である。

ゴダールは、その歩み、人生を、1時間42分に閉じこめる。とても、一般の感覚、理解では付いていけないスピードだ。荒技ではあるが、洗練、細部を省略するが、刺激的だ。映画からは、ゴダールの獲得した映画、文学、美術、音楽、哲学、政治、歴史、言語、暴力、エロティシズムなどなど、あらゆるイメージ、メッセージが、津波のように押し寄せてくる。これでもか、これでもか、と執拗に、しかし、ゆったりと、鷹揚に。
いったい、本作をどうレビューすればいいのだろうか。映画は、観客や書き手の知識、教養を試しているかのように、作られているようである。まるでリトマス試験紙のような、一種の挑戦状である。見る側は、ゴダールのストレートなスパイクとフェイント、クイックに、戸惑うばかり。
事実、どのシーンにも、意味があるのだろうが、受け手の不明。映像、音響から、鋭い刺激を覚えても、とても理解には至らない。初期のゴダール作品はともかく、ここ十数年の作品群の難解さ、どこがいいのかと言うアンチ・ゴダール派も少なくない。
浅学にして、おびただしいゴダールの引用には、とても、ついていけない。1961年の「女は女である」では、エミール・ゾラの小説に、1965年の「気狂いピエロ」では、アルチュール・ランボーやロバート・ブラウニングの詩に、1967年の「ウィークエンド」では、ジョルジュ・バタイユの著作やロートレアモンの詩「マルドロールの歌」に、翻訳ではあるが、めぐりあったのだけれど。
途切れ途切れの会話、次々と挿入されるナレーションや文字表示、寸断される音楽、映像の断片が、相次いで出てくる。細切れだからこそ、想像力を刺激する。次は、どのような断片なのか、スリリングですらある。その饒舌ぶりから、人が世界を認識するとはどういうことなのか、つまりは、いったい思想、歴史とは何なのか、との問いを突きつけているように思える。共産主義、社会主義、資本主義とは何だったのか、と。ヨーロッパだけでなく、世界の没落を、資本主義の終焉を、だから、おぞましさに満ちた人類の歴史を、ゴダールは、ダイジェストし、再構築しているかのようだ。
私の心は私の口の中にはない
富を求めた人間の歴史をスケッチし、政治のありよう、国家の歴史をコラージュする。際だった明確なドラマ、ストーリーは存在しない。映画は、交響曲さながらの三楽章の構成。コラージュ、スケッチ、断片の積み重ね。それが、なぜか心地いい。見る側の好奇心をくすぐり、刺激する。
これはまるで、ゴダールの文化人類学。ソルボンヌでゴダールが学んだのが、文化人類学であったことに思いいたる。映画ではあるが、もはや事件。ジャン=リュック・ゴダールは、映画史の今後に多くの議論をよぶ、とんでもない映像を残したものだ。

ゴダールは、その歩み、人生を、1時間42分に閉じこめる。とても、一般の感覚、理解では付いていけないスピードだ。荒技ではあるが、洗練、細部を省略するが、刺激的だ。映画からは、ゴダールの獲得した映画、文学、美術、音楽、哲学、政治、歴史、言語、暴力、エロティシズムなどなど、あらゆるイメージ、メッセージが、津波のように押し寄せてくる。これでもか、これでもか、と執拗に、しかし、ゆったりと、鷹揚に。
いったい、本作をどうレビューすればいいのだろうか。映画は、観客や書き手の知識、教養を試しているかのように、作られているようである。まるでリトマス試験紙のような、一種の挑戦状である。見る側は、ゴダールのストレートなスパイクとフェイント、クイックに、戸惑うばかり。
事実、どのシーンにも、意味があるのだろうが、受け手の不明。映像、音響から、鋭い刺激を覚えても、とても理解には至らない。初期のゴダール作品はともかく、ここ十数年の作品群の難解さ、どこがいいのかと言うアンチ・ゴダール派も少なくない。
浅学にして、おびただしいゴダールの引用には、とても、ついていけない。1961年の「女は女である」では、エミール・ゾラの小説に、1965年の「気狂いピエロ」では、アルチュール・ランボーやロバート・ブラウニングの詩に、1967年の「ウィークエンド」では、ジョルジュ・バタイユの著作やロートレアモンの詩「マルドロールの歌」に、翻訳ではあるが、めぐりあったのだけれど。
途切れ途切れの会話、次々と挿入されるナレーションや文字表示、寸断される音楽、映像の断片が、相次いで出てくる。細切れだからこそ、想像力を刺激する。次は、どのような断片なのか、スリリングですらある。その饒舌ぶりから、人が世界を認識するとはどういうことなのか、つまりは、いったい思想、歴史とは何なのか、との問いを突きつけているように思える。共産主義、社会主義、資本主義とは何だったのか、と。ヨーロッパだけでなく、世界の没落を、資本主義の終焉を、だから、おぞましさに満ちた人類の歴史を、ゴダールは、ダイジェストし、再構築しているかのようだ。
私の心は私の口の中にはない富を求めた人間の歴史をスケッチし、政治のありよう、国家の歴史をコラージュする。際だった明確なドラマ、ストーリーは存在しない。映画は、交響曲さながらの三楽章の構成。コラージュ、スケッチ、断片の積み重ね。それが、なぜか心地いい。見る側の好奇心をくすぐり、刺激する。
これはまるで、ゴダールの文化人類学。ソルボンヌでゴダールが学んだのが、文化人類学であったことに思いいたる。映画ではあるが、もはや事件。ジャン=リュック・ゴダールは、映画史の今後に多くの議論をよぶ、とんでもない映像を残したものだ。
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