昨年、惜しまれつつも50歳で現役引退したレジェンド・山本昌さん。32年にわたる現役生活、自身の投球、そして趣味など、さまざまなことをお聞きしてきました!

【島流し? 嫌だったアメリカ留学】


1983年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団した昌さんでしたが、入団当初は1軍に昇格できない日々が続きました。転機が訪れたのは5年目の1988年、アメリカへの野球留学でした。
アメリカ留学というと聞こえが良いですが、昌さん自身は「島流し」にあったと思ったそう。
山本昌が語った野球人生、投球論、趣味「ラジコンとの出会いで50歳まで現役を続けられた」

「ちょうどドラ1で立浪(和義)くんが入団してきたのですが、当時は彼の半分の給料で野球をやっているような、吹けば飛ぶような存在。今年が最後だと意気込んでいる時に、3月から11月終わりまでアメリカに行けと伝えられました。今シーズンは一軍にいりませんと言われたような感じでしたね

しかし昌さんは、故・アイク生原氏の熱心の指導もあり、アメリカで頭角を現します。このアメリカ留学では、スクリューボールもマスターしました。
そんな昌さんを球団も放っておかず、シーズン途中で急遽呼び戻されます。
中日へと戻った昌さんは、5勝負けなしという大活躍で1988年のリーグ優勝に貢献しました。

アメリカに行ったことを今では感謝しています。この経験がなければ、この年か次の年にクビになっていたと思います。当時は球のスピードが遅かったことで気をつかわれ、2軍球場のスピードガン表示を消されたりしたほどでしたしね(笑)」

【50歳まで現役を続けた山本昌 ラジコンのおかげ?】


アメリカ留学で開花した昌さんは主力投手として活躍し、1993年、1994年には連続して最多勝を獲得しました。しかし、1995年に膝を痛めたことなどが影響し、2勝どまりに。
「でも転んでもただでは起きません。この年に50歳まで現役を続けられた2つの出会いがありました
この2つの出会いとはラジコンと、イチロー選手も行っていることでも知られる初動負荷トレーニングの生みの親・小山裕史氏だったとのこと。
なぜラジコンと小山氏との出会いが、50歳まで続けられる要因となったのでしょうか。

「まだ学生くらいのアマ選手がラジコンを走らせるたび、コンマ1秒のために、バラバラにして組み直してを繰り返していました。彼らは1銭の得にもならないにもかかわらず、ラジコンを凄く追及していたんです。当時、自分はすでに1憶円プレーヤーでしたが、ここまで自分は野球を追及しているかなと思いました
昌さんがそう思った矢先、動作研究のプロである小山氏と出会います。小山氏との出会い以降、二人三脚でフォームを見直すようになり、43歳のシーズンでキャリア最高となる143km/hを記録するまでになり、選手寿命が大きく伸びました。
あの時、ラジコンをやっている少年たちを馬鹿にしないで、素直に凄いと思えて良かったです
山本昌が語った野球人生、投球論、趣味「ラジコンとの出会いで50歳まで現役を続けられた」

また、50歳まで現役を続けられたのはファンの方の声も大きかったと振り返ります。

「特に最後の5年間はファンの方が応援してくれました。『励みになるよ』という声を逆に励みにしていましたね。また、投げるたびに最年長記録だとメディアが注目してくれたこともプラスに働きました。こんなに注目されているんだから頑張ろうと思いました」

【山本昌が遅いストレートで200勝できた理由】


昌さんのストレートは130 km/h台がほとんどながら、「ストレートが速く見える」といわれることが多かったそう。あるテレビ番組の検証では、回転数が他の投手と比べてかなり多いことが指摘されていましたが、このことを意識していたのでしょうか。
速く見えると言われても、自分で打席立ったことないから分からないです(笑)。回転数が凄いという話もありましたが、投げてる方はそういう感覚はないですね。
小山先生と理想のフォームを作っていく過程で自然とそうなったんだと思います」

昌さんは勝ち星を多く積み重ねた他の要因として、打者を迷わせるだけの球種があったこと。そしてコントロールが良く、どんどん打者を不利なカウントに追い込むことを意識的にできたことの2点を挙げます。
ところで昌さんは打者を追い込むためには、「初球ストライクが投球の基本」だと著書でも語っています。初球ストライクを投げるにあたり、"初球を打者が振るかどうか"をとても意識したそう。
同じ打者でもランナーのいる・いないで、初球を振る・振らないが変わるタイプもいたので、気を付けて見てました。最近の調子の良し悪しや、大きい当たりをどういう場面で打っているかというデータも意識してましたね

また、このような「初球ストライクが基本」など配球については、名捕手として知られた古田敦也氏も著書『フルタの方程式』などで共通の考え方を披露していました。
このことを昌さんに尋ねてみると、驚いた様子でこう語ります。
「そうなんですか! 古田くんとはこの前も名球界のイベントで一緒に行動しましたが、配球についてはまったく会話したことないですね。でも理論派の彼と一緒の考えというのは嬉しいです」

【山本昌が語るキャッチボールの重要性】


昌さんの代名詞ともいえるコントロール。コントロールを良くするための方法として、普段のキャッチボールを疎かにしないことが挙げられます。
昌さんはキャッチボールでどのようなことを意識していたのでしょうか。
キャッチボールでは、一球たりとも気を抜いて投げていないです。意識していたことは指先の感覚で、しっかり指にかかっているか投げるたびにチェックしていました。
キャッチボールは調子を表すので、まずキャッチボールで調子を整えることが大事ですね。キャッチボールの調子が悪くて、ピッチングが良いということは絶対にないです」

【『ダビスタ』のおかげで最多勝を獲得!?】


野球以外にもラジコン・競馬・クワガタ・ゲームなど多くの趣味を持つことで知られる昌さん。趣味が野球の成績に良い影響を与えたこともあったそう。
「1994年のシーズンは遠征先に行くと、飲みにもいかないで競馬ゲームの『ダビスタ』(注:『ダービースタリオン』)で一生懸命に馬を作っていました。『ダビスタ』をして酒を飲まなかったことが、この年に最多勝を取れた理由のひとつかもしれないです(笑)
山本昌が語った野球人生、投球論、趣味「ラジコンとの出会いで50歳まで現役を続けられた」

『ダビスタ』がきっかけで競馬そのものにもハマり、『ダビスタ』の馬の血統を見て実際の競馬を楽しんでいたとのこと。しかし、1軍で投げている間は馬券を買うことはなかったそうです。
「馬券は野球のツキが逃げると思って買わなかったですね。ラジコンも年齢を重ねてからは野球を続けるために必要な時間が増えたので、辞めていました。今思うと野球が一番好きだった、野球が一番の趣味だったのではないでしょうか

そんな多趣味な昌さんですが、最近は自転車に興味を持っているのだとか。
自転車はラジコンに通じるところがあるんです。道具とかメカ的なことが好きなので、色んなチューニングパーツやペアリングなど、組み合わせて自分に合った自転車を作るのが面白そうだなと。ダイエットも兼ねて体を動かせればいいですね」


さて最後に、現役を退いてからも解説者などとして大活躍中の昌さんに今後の目標を語って頂きました!
「私は初めて社会に出た新人野球解説者です。投手のことに関してはほぼ10手先まで見えますが、打者のことや作戦面のことなど分からないことだらけ。聞いて頂く方に分かりやすく伝えられるように、まずは野球の勉強をしていきたいです