近年、多くのメンバーが卒業しているAKB48系列グループ。
卒業後の進路は、女優を志す者、ソロ歌手として活動する者、グラビアに活路を見いだす者、バラエティタレントになる者など様々である。

もちろん、そのまま芸能界から身を引く者もいれば、ファッションブランドのプロデューサーとして別分野で成功を収めたような例もある。

集団アイドルというのは、芸能界のゴールではなく入り口に過ぎず、アイドルを辞めてからの方が人生ははるかに長い。
団体の中ではエースとして輝いていたメンバーもその後、順風満帆とはいかない。

「アイドル冬の時代」以後のおニャン子OG


1980年代後半に一世を風靡した秋元康プロデュースのアイドルグループおニャン子クラブ。
全盛期には現在のAKB48同様に、本家おニャン子クラブだけでなく、うしろ指さされ組、ニャンギラスなどの派生グループや、河合その子、新田恵利などのソロデビュー組もレコードを発売し、出す曲出す曲全てがオリコン上位を獲得する状況であった。

全員とは言わないまでも、当然にしてエース級だったメンバーはこの後も芸能界の真ん中を歩んでいくのだろうと、多くの人が思っていた。
しかし解散後数年が経ち、90年代の所謂「アイドル冬の時代」に入って以後、彼女たちを待ち受けた道は思ったよりも厳しいものであった。


紅白出場を果たした工藤静香


90年代も、そのまま芸能界で活躍し続けたと言い切れるメンバーは数人。
まず、会員番号38番工藤静香はその筆頭格である。
他のメンバーがバラエティ番組に活路を見出したのに対し、歌手として90年代になってもヒット曲を飛ばし続けたのは、演歌で細く長い活動を続けている城之内早苗を除けば、彼女だけと言って良い。
紅白歌合戦にも8回出場し、そのうち6回は90年代に入ってから。最高売上枚数を記録したシングルは、93年に出した「慟哭」という結果を見れば、工藤静香が例外的存在だったことがわかる。ちなみにおニャン子クラブ出身者で紅白出場経験があるのは工藤静香だけである。

バラエティで活躍したおニャン子OG


バラエティ中心に活躍したのは会員番号36番渡辺満里奈である。
渡辺満里奈は当時全盛期であった「とんねるずのみなさんのおかげです」への出演や渋谷系音楽界隈とのつながりなどで、90年代もタレントとして活躍。

主にバラエティ番組のアシスタント的役回りでコンスタントにテレビ出演した。
その他バラエティに活路を見出したメンバーとしては、会員番号19番岩井由紀子(ゆうゆ)や会員番号40番生稲晃子がいる。

岩井由紀子は愛称である「ゆうゆ」を芸名とし、所謂バラドルとして「クイズ年の差なんて!」などで活躍した。フリップに必ず描く茄子の絵でも有名である一方、番組でも共演していた中山秀征との交際が報道されることもあった。
それまで、アイドルの卒業後の進路といえば歌手か女優が定番であった中、現役感を持ったまま、バラエティタレントとして生き残るという道ができたというのはある種画期的なことで、これは井森美幸や山瀬まみなどのバラドル先駆者の功績が大きい。

女優としてなんとか生き残ったのが会員番号8番国生さゆりである。

現役当時は、学芸会と揶揄された月曜ドラマランド枠で拙い演技を披露していたおニャン子クラブメンバーたち。
やはりというべきかそこから女優の道に進んだメンバーは少ない。数少ない女優組国生さゆりとて、90年代は長渕剛との不倫騒動もあって低迷期にあり、結局のところバラエティ方面に舵を切っている。

「脱ぐ」メンバーや姿を消したメンバーも


一方で「脱ぐ」方面に舵を切ったメンバーもいる。
吉見美津子や山崎真由美など何人かがヌードを披露しているが、主要メンバーでフルヌードを披露したのは1993年にヌード写真集を出した会員番号13番内海和子くらい。
会員番号29番渡辺美奈代は、尻は見せても意地でもバストトップを見せないセミヌード写真集で世の男性をもやもやさせた。


一方でおニャン子ではエース級でありながら、90年代は姿を消したメンバーもいる。
会員番号4番新田恵利は今でこそバラエティ中心に芸能界復帰しているが、1990年には一時期芸能界を引退。会員番号12番河合その子も1990年代はほぼ完全に表舞台から姿を消している。そして、ご存知の通り会員番号16番高井麻巳子は秋元康と結婚、引退している。

総勢五十数名のおニャン子クラブ。解散後、90年代も一線で活躍し続けたのはほんの数人。

2000年代に入ってから芸能界に復帰したメンバーもいるが、いずれにしても芸能界はなかなか厳しい。
今を謳歌する現役アイドルの前途に幸あらんことを。
(前川ヤスタカ)

※イメージ画像はamazonよりおニャン子クラブ(結成30周年記念) シングルレコード復刻ニャンニャン[通常盤]7