2011年の『FIVBワールドカップバレーボール』でデビュー以来、番組スペシャルサポーターとしてさまざまなバレーボールの大会で日本チームを応援し、バレーの魅力を紹介してきたジャニーズの若手、SexyZone。
2015年は大会組織委員会から正式に「大会スペシャルナビゲーター」を拝命し、チームの応援、試合進行、大会テーマソングを担当し、大会を盛り上げている。


4年に一度行われる『FIVBワールドカップバレーボール』といえば、今や、ジャニーズのグループのデビュー組がスペシャルナビゲーターを務めるのが慣例で、ジャニーズJr.ファンにとっては、バレーボールの世界大会で次は誰がデビューするのかと期待がふくらむ、登竜門的なイベントになっている。

上京間もない新入りの岡田准一 偶然まさかのメンバー入り


『ワールドカップバレーボール』といえばジャニーズの新人がスペシャルナビゲーターを務めイメージソングを歌う、そんな歴史をつくる第一号となったのが1995年のV6だ。

V6は1995年11月1日デビュー。1995年夏にジャニーズがイメージキャラクターを務めることが決まったが、メンバーは不確定だった。そして、選ばれたのはTOKIOやSMAPの先輩のベテランJr.で年長組のトニセン(20thCentury)の3人ユニット(坂本昌幸、長野博、井ノ原快彦)と、まだヤンチャ盛りだった年少組のカミセン(ComingCentury、森田剛、三宅健、岡田准一)の6名。
カミセンは、ジャニーズJr.のトップとして圧倒的な人気があり、「剛・健コンビ」と呼ばれていた森田剛と三宅健のうち、三宅が先にメンバーに選抜され「剛が一緒じゃなきゃやらない」と言ったことで森田も加わったという話が「シンメ(コンビ)愛」としてよく語られている。

岡田は当時14歳、大阪から上京し、事務所に入所したてのド新人で経験も浅く、坂本と10歳の年齢差があった。

たまたまバレーボールの練習に呼ばれて、知り合いもいなかった岡田が熱心に練習していると、偶然ジャニー喜多川氏が現れ「バレーを真面目にやってんの、あいつだけじゃないの!」と岡田を指差し、「YOU、バレーボールできる?」と声をかけ、偶然メンバー入りを果たしたのだ。ジャニー喜多川氏の原石を見つける鑑識眼は確かといえそうだ。

こうしてメンバーが確定。『バレーボールワールドカップ』のタイアップソング『MUSICFORTHEPEOPLE』でデビュー。V6の名前は、バレーボールの「Vリーグ」からVをとり命名された。

嵐もNEWSもHey! Say!も“バレーボール出身”


そして、1999年、次の『バレーボールワールドカップ』スペシャルナビゲーターにあわせてグループが結成されたのが嵐だ。
櫻井翔は期間限定ユニットだと思い、大野智は事務所を辞める、と申し出た1週間後に「レコーディングを手伝って」と言われたのがデビュー曲に。
しかも相葉雅紀の場合は、ジャニー喜多川氏から電話で「YOU、パスポート持ってる?」と聞かれ、『持ってる』と答えた3日後、ハワイへ出発、ハワイ到着後にCDデビューを聞かされるというサプライズ尽くし。相葉がもしパスポートを持っていなかったら、デビューはなかったかもしれないのだ。

その後、2003年はNEWS、2007年はHey! Say!JUMP、そして2011年のSexyZoneがナビゲーターとなりデビューしている。一方、KAT-TUNは、2005年に『ワールドグランドチャンピオンズカップ2005(日本テレビ系)』の応援プロデューサーを務めたが、この時点では応援に徹し、CDデビューは翌年に持ち越している。

ジャニーズのさまざまな偶然や必然、奇跡を生んできた『バレーボールワールドカップ』。
SexyZone が2期続けて担当するのは初めてで、これは事務所が満を持してデビューさせたいグループがいなかったからだ、という見方もある。
2019年は、ジャニーズの新たな秘密兵器誕生となるか、Jr.ファンは気が気でないだろう。
(佐藤ジェニー)