『クイズ!紳助くん』の終了から早や5年。未だに復活希望の声が絶えない関西屈指の人気クイズバラエティ番組だ。

この番組では「呪いか?」と思うほどに、様々な事故が起こっているが、中でも2001年の正月早々に起こったある事故を中心に振り返りたい。

麒麟やアジアンと同期の若手芸人に起こった悲劇


2001年1月3日~4日にかけて、吉本所属のお笑い芸人、西科孝仁(現・西科仁)がこの番組のロケに参加していた。「なにわ突撃隊」と呼ばれる若手芸人たちによるチャレンジ企画で、西科はブリを入れたカゴを担いで、江戸時代の行商人よろしく「ブリ街道」の踏破に挑戦するというものだった。
西科は当時22歳。麒麟やアジアンらと同期であり、吉本新喜劇にも白いスーツを着たヤクザ役でレギュラー出演する期待の若手のひとりだった。

指を切断する事態に…


ロケ場所は、岐阜と長野の県境にある野麦峠。映画『ああ野麦峠』で名を馳せた、明治から大正にかけて若い女工たちが命懸けで吹雪の中を越えたとされる峠だ。
雪深い中、西科とスタッフらは5時間かけて山を登り、峠付近にテントを張って野宿。
翌朝4時ごろに下山を始めたとされている。

西科はその3時間後、指の異常を訴える。親指以外の両手8本の指先が完全に赤紫色に変色していたのだ。このロケでは、西科は指先の出る手袋をはめていた。カゴのヒモを握ったまま、指先が長時間寒風にさらされたのが原因の凍傷だった。
収録を中断して下山、地元の病院で診察を受けたところ、重度の凍傷で即入院。
結果、指5本が壊死(えし)、左手人差し指の指先は切断することになってしまった。

過去には急流転落も! 人災との説も?


一説には、あるディレクターが起こした人災との見方もされている。
下請け制作会社の社長でもあるそのディレクターは、若手芸人のキャスティングも任されている権力者。面白い絵を撮るために、若手にとことんまで無茶をさせていたとの話もある。理不尽な目に会いながらも、テレビに出たいがためにそれに逆らえない若手芸人たち。そんな中で生まれてしまった悲劇だったのだろうか?

95年にも同番組ではロケで大事故を起こしている。
熊本県の球磨川で、同じく「なにわ突撃隊」の竹内ゆうじらが乗った観光船が急流下りのロケをした際、芸人ら5人が川に投げ出され、約1.5kmも流されてしまったのだ。
一歩間違えば死人が出たこのロケも、先のディレクターの担当だったという。
ちなみに、被害にあった竹内ゆうじは番組レギュラーを務めたまま、07年12月に直腸ガンのため36歳の若さで亡くなっている。

だんじり祭りのロケ中に死亡事故発生!


実は、この指切断事故の数ヶ月前にもこの番組のロケでは死亡事故に遭遇している。
2000年10月、愛媛県のだんじり祭りを撮影していた際、見物客の女性がだんじりと小学校の校門に挟まれる形となり死亡する事故が起きてしまったのだ。
大阪の「岸和田だんじり祭り」が特に有名だが、愛媛県もその荒っぽさでは引けを取らない土地。このケースでは、番組に責任があるわけではなく、あくまで撮影しただけだ。


しかし、通常、部外者をだんじりに乗せることはない中で、そのだんじりにはある芸人を乗せてロケを行っていた。番組ロケという特殊なシチュエーションが思わぬ熱気を生み、事故を呼び起こしてしまったのだろうか?
ちなみに、ある芸人とは前述の西科孝仁であった。

『クイズ!紳助くん』は、朝日放送にて93年より放送開始。今回上げたような事故を乗り越え、2011年まで続いたのだが、最後は司会を務めた島田紳助の芸能界引退によって打ち切られている。呪いはこれで終わったと思いたい。
しかし、初代アシスタントの藤原紀香に対するバッシング報道が絶えない状況からすると…もしかしてまだ……。

(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonよりクイズ!紳助くん ~なにわ突撃隊 傑作選~ [DVD]