日清カップヌードルのCMに使われた大ヒット曲「ff (フォルティシモ)」で知られるロックバンド・HOUND DOG(ハウンドドッグ)。1990年には日本武道館で15日連続公演を行うなど、80年代後半から90年代にかけて、名実ともに日本を代表するロックバンドの一つだった。


崩壊への序曲は大友康平の事務所独立


バンドが崩壊への道を歩み始めたのは、デビュー25周年となる2005年のこと。発端はボーカルの大友康平と所属事務所マザーエンタープライズ(以下、マザー)との間に発生したトラブルだった。

05年4月、大友はマザーから独立して個人事務所イエホック(iehok、康平を逆さにしたもの)を設立する。しかし、これは円満独立ではなかった。また、大友はイエホック移籍に難色を示したメンバーの蓑輪単志、鮫島秀樹と対立。
大友はイエホック公式サイトで蓑輪、鮫島を除いた4名でHOUND DOGを続けていくことを宣言した。

06年8月、マザーは大友に対して、コンサート出演義務違反などによって3214万円の損害賠償請求を起こす。
05年1月11日、大友が事務所を通さず企業イベントに出演したことと、大友の独立によって25周年記念ツアー16本が中止になったことに対する損害賠償である。
また、イエホックに移籍したメンバーである橋本章司、八島順一、西山毅の3名に対してもマザーの対外的信用を失わせたとして1100万円の損害賠償と謝罪広告掲載を求めた。

同年11月、大友はマザーからの訴えに対して名誉毀損で反訴している。

裁判、裁判、また裁判…


06年には大友、イエホック側と橋本、八島、西山の確執が表面化。6月18日、大友はイエホックのサイトで、今後は1人でHOUND DOGを続けると宣言する。
一方、橋本らはイエホックの発表に対して反発。6月21日には3人の連名で声明を発表、自分たちがイエホックから大友のバックミュージシャンのような扱いを受けていたこと、新曲の権利を無償でイエホックに譲渡するように要求されていたこと、協議を申し入れているが拒絶されていること、自分たちがHOUND DOGのメンバーであることをアピールした。


06年7月、鮫島と蓑輪によってHOUND DOGの名称の使用権がメンバー6人に帰属することと、HOUND DOGへの復帰を求めた民事訴訟が行われていることが明らかになる。被告は大友、橋本、八島、西山の4名だが、9月に大友を除く3名との間で和解が成立した。

3人がイエホックを解雇に


同じく7月、大友はサポートメンバーによるバックバンドを従えてHOUND DOG名義のライブを決行する。翌日、橋本、八島、西山はファンイベントでイエホックを解雇されたことを暴露した。

そして先に述べたとおり、マザーが大友、橋本、八島、西山に対して損害賠償請求を起こす。同年12月、証人尋問に大友が出廷。原告側弁護団からの質問に対し、「マザー・エンタープライズは実質的に福田信会長のワンマン会社。
そのワンマン体制に対する不安、マネジメントに対する不安が独立を決意させた」「福田会長から『ハウンドドッグは事務所のお荷物だから解散しろ。独立は認めない。解散ツアーをすれば2000万円ずつ退職金が出る』と言われた」と説明した。

HOUND DOGは大友ひとりのもの?


08年4月、マザーと橋本、八島、西山が和解。同年5月、大友側は鮫島、蓑輪と法廷外和解という形で決着をつけた。

08年12月22日、マザーと大友側の裁判に判決が下り、大友の「裏営業」の事実は認められたが、全国ツアー出演義務違反については棄却された。
大友側が主張していたマザー側による名誉毀損も退けられている。原告のマザーは判決を不服として東京高裁に控訴したが、09年5月に棄却されている。

ここまでもめ続け、なおかつその過程がすべて明らかになっている日本のバンドは珍しい。現在もHOUND DOGは大友康平ひとりだけで活動を継続している。

なお、さらに詳細な記事が『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』(文春文庫)に掲載されているので、そちらも併せてご覧いただきたい。
(大山くまお)

※イメージ画像はamazonよりプレミアム・ベスト ハウンド・ドッグ Original recording remastered