1996年、お笑い界に彗星のごとく現れた若き新星を覚えているだろうか? 『輝く日本の星! 次代のダウンタウンを創る』というテレビ番組から生まれたお笑いコンビ・「りあるキッズ」がそれだ。

当時、若干11歳という年齢で笑いの世界に舞い降りた彼らは、2003年には『M-1グランプリ』で決勝に進出するなど着実にキャリアを積んできた。
しかし2014年、惜しまれつつコンビを解散。

解散の陰には一体には何があったのか?今回は、りあるキッズの過去と現在について見ていこう。

「次代のダウンタウン」として11歳でデビュー


今や生ける伝説となったお笑いコンビ・ダウンタウン。現代の芸人のうち、ダウンタウンの影響を受けていない者はいないと言っても過言ではないだろう。そんな笑いのカリスマの後継者を発掘すべく、『輝く日本の星! 次代のダウンタウンを創る』という企画から誕生したのが、りあるキッズだ。

ボケを担当する安田善紀は、細身の体とハイトーンボイス、黒縁のメガネがトレードマーク。かねてから年に見合わぬ老成した雰囲気があり、淡々としていながらもキャラクター性の強いボケが印象的だった。


一方、安田のボケを余さず拾い尽くすツッコミ担当・長田融季は、やんちゃな大阪の兄ちゃんという雰囲気が対照的で、若き日のダウンタウン浜田を彷彿とさせた。
安田と長田コンビは、見ているだけでも楽しくなってしまうような、理想的なデコボコ漫才師だったのだ。

あの伝説の年『M-1グランプリ2003』で決勝進出


2003年には若干18歳にして『M-1グランプリ』の決勝に進出。フットボールアワーが王座を獲得した2003年大会といえば、最終決戦では笑い飯、アンタッチャブルとの三つ巴の攻防が行われた伝説の年である。M-1史上もっともハイレベルな年だったと言ってもいいだろう。

そんな舞台に10代の漫才師が上り詰めたこともまた、M-1が生み出してきた伝説のひとつだ。りあるキッズの正統派しゃべくり漫才は、その若さからは予測できないキャリアを感じさせるもので審査員を大いに唸らせた。
島田紳助や島田洋七ら、90点以上をつけた者もいたが、惜しくも結果は5位……。
だが、彼らの漫才に末恐ろしさを感じた視聴者も多かっただろう。

順調に見えたが、あえなく解散したりあるキッズ


その後も、M1に出場するものの決勝進出には及ばず、2006年大会では準決勝進出にとどまった。そして2014年、長く主戦場としてきた大阪の劇場を離れ、東京に進出することが決まっていた。新天地での明るい未来が予想された矢先、なんとツッコミの長田が吉本興業を退社。

この衝撃的なニュースはすぐにネット上を駆け巡り、ツイッターでは落胆するファンの声が数多く聞こえてきた。原因は長田の借金問題だったという。


元サンドウィッチマンとコンビを組んだ安田


さて、長田が去ったあと安田はどうなったのか? じつは安田、コンビ解散後も芸人として活動を続けている。
現在は、新しい相方と閃光少女を結成。新しい相方となった浜田ツトムは、2014年までメインストリートというコンビで活動していたが、それ以前にはM-1王者サンドウィッチマンの3人目のメンバーだった過去もある。

決して短くないりあるキッズとしての18年間。安田と長田がその期間、数多くの漫才好きを魅了してきたことはファンが一番よく知っているはずだ。
残念ながら「りあるキッズの安田」としての漫才を見られる機会はなくなってしまったが、今後も漫才師として舞台の上で輝き続けて欲しい。

(ヤマグチユキコ)

※イメージ画像はamazonよりM-1グランプリ2003 [DVD]